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ポップコーンはキャラメルかバター醤油

結局全部一緒やないかいシリーズ完結作『牛首村』(2022)

『牛首村』は、清水崇監督が手掛ける『恐怖の村シリーズ』の第三作目となるホラー映画。2022年公開。

前作『犬鳴村』『樹海村』と合わせて三部作となっている。

(※イメージ図)

『犬鳴村』『樹海村』が面白かった人にとっては、本作もそう感じるだろう。なぜなら内容がほぼ同じだから

私は正直あまり面白くなかった側だが、せっかく頑張って三部作をコンプリートしたので感想・考察記事もコンプさせたいと、その執念だけで今この記事を書いている。

 

 

映画『牛首村』とは

牛首村は、富山に実在する心霊スポット『坪野鉱泉が舞台となっている。正確には坪野鉱泉にある廃墟『ホテル坪野』。

wikiによると、ホテルが廃墟となったのは経営難による閉鎖が理由だが、建物が放置されている間に暴走族の溜まり場になったり、心霊スポットとしての噂が広まったりと、色んな意味で治安の悪い場所になっているらしい。

映画内では、坪野鉱泉そのものが悪霊の巣窟として描かれているわけではない。その土地に昔あった残酷な風習が本作の呪いの発端であり、主人公たちと呪いを結びつける窓口的なポジションが坪野鉱泉なのだ。『犬鳴村』における犬鳴トンネル的存在である。

 

あらすじ

ウシノクビって知ってる? この話を聞くとみんな呪われて、いなくなるんだって。

恐布の村シリーズ第3弾、禁断の映画化! 九州を舞台にした『大鳴村』(2020)、富士の『樹海村』(2021)に続き、今回新たな恐怖が生まれるのは、北陸最恐の心霊スポット。

【平野鉱泉】など北陸地方出身者なら誰しもが知るスポットを舞台に、ホラー界の巨匠にして、これまでの村シリーズ全作を手掛ける清水崇監督が極限の恐怖で観客を追い詰める!

主演は、本作で映画初出演・初主演のKoki。不可解な出来事に巻き込まれる女子高生姉妹の一人二役を熱演する。さらに恐怖に対峙するのは萩原利久、高橋文哉ら若手実力派俳優たち。 世界中に恐怖の連鎖を生み続ける「村」シリーズ最新章が、今、幕を上げる…。

公式サイトより引用)

 

公式のあらすじには、ストーリーの情報はほとんどない。舞台となる心霊スポットの紹介と、監督および俳優の紹介のみ。

特に主演のKokiは大々的に宣伝されており、これまでの村シリーズはすべてKoki主演作品を作るための伏線だったのでは?とさえ思わされる。

 

唯一、公式あらすじの中で物語に関係があるのは最初の一文のみ。ウシノクビという怖い怪談があり、それを聞いた者は呪われるという。

この話の解釈は本編中にあった。聞いた人は呪われて死ぬ、ということは今いる人は誰も内容を知らない。つまりそんな話は存在しないってのがこの話のオチだ、と。

しかし本編で明かされる過去の恐ろしい儀式こそが、じつはウシノクビの話の全貌なのである。

 

もっと簡単なあらすじ

わたし、雨宮奏音(かのん)!東京に住む父子家庭の女子高生!

クラスメイトの蓮(れん)が、とある動画を見つけてきたの。私にそっくりな顔をした女の子が、配信者の派手な女の子たちに連れられて、心霊スポットで行方不明になっちゃう動画。何だか他人事とは思えなくて、動画に出てきた心霊スポットを目指して富山へ行くことにしたよ。

そしたらだんだん変な幽霊が見えてくるし、亡くなったって聞かされてたお母さんが普通に生きてたし、行方不明の女の子は私の双子の妹だとか言うし……もうわけわかんない!でもとにかく妹を見つけなきゃ!今どこにいるの?あの動画で何が起きたの?双子パワーで私が絶対助けるからね!

 

***

主人公の奏音にじつは双子の妹がいた、という事実は物語の途中で明かされるのだが、メタ的なことを言うと『初主演のKoki一人二役で姉妹を演じる』とガッツリ宣伝されているので、もはや視聴者にとっては前提知識。驚いているのは主人公だけである。

 

 

※以下ネタバレ注意※

 

相関図

主な登場人物は上記イラスト内のキャラのみ。『犬鳴村』に比べるとかなりシンプルな構図。

ヒッチハイクに応じてくれたおじさんとかもいるが、ド派手に死ぬ役目なだけで物語には関係ないため省略した)

中でも重要人物は、奏音のおばあちゃんである妙子。普段は寝たきりで弱々しいが、一度スイッチが入ると不思議なパワーで相手をタイムスリップさせる特殊能力を持っている。

 

感想

恐怖の村シリーズおなじみの展開しかなかった

アッキーナ(役名・俳優固定、必ず序盤で死ぬ)による配信動画から始まり、過去から続く呪いの起源を主人公が追っていく。タイムスリップで仲間を助けて一件落着かと思いきや、エンドロール後に「じつはまだ呪いは続いている……」という恐怖の余韻を残す演出。

『犬鳴村』『樹海村』そして本作『牛首村』、三部作となる村シリーズはすべて上記のパターンで構成されていた。

お約束展開、おなじみパターンと言うにはあまりにも面白くない。単なるコピペとしか感じられなかった。

内容に差異がなく退屈な本編の中で、シリーズ作品としての繋がり要素(毎回出てくるアッキーナ、犬鳴村の遼太郎くん等)を入れてこられても、そんなお遊び要素考える前にもっと中身を面白くしなよ!!!としか思えない。毎回毎回当たり前みたいにタイムスリップしやがって

 

村シリーズはポスターデザインにも一貫性があり、遠目で見ると全体の風景が人の顔のように見えて不気味……という共通要素がある。

毎回ポスターのビジュアルはかなり良いのだが、そこのクオリティを上げる余裕があったらもっと本編に力を入れてほしい。

 

Kokiの演技は良かった

公式から推されまくっていたKoki、推されすぎて逆に不安だったが、結果良かった。

樹海村ほどの退屈さを本作で感じなかったのは、Kokiの演技、そして顔面と髪の美しさによるところが意外と大きいのではと思う。顔かわいー、髪さらさらー、と思っているうちに本編が終わった。

良い意味で素人感の少ない落ち着いた雰囲気もとても良かった。気の強い姉の奏音と、純朴で清楚な妹の詩音、一人二役の演じ分けも良かった。

ちなみに、詩音の彼氏役の俳優も髪さらさらでめっちゃきれいだった。

 

恐怖演出はシリーズ中で一番好み

たとえばふとした時に映り込んで、でもよく見ると消えてしまう。油断している一瞬のシーンに異物が紛れ込んでいる。そんな霊の映り込ませ方は、村シリーズ中では本作が一番と言えるだろう。特に序盤のシーンはさり気なくも不気味な霊が多く、見どころがたくさんある。

がっつり霊が映るところで印象的なのは、妹の詩音だと思って話しかけた相手が全然知らない霊だったシーン。身内かと油断していたら普通に知らない人が絡んできたという別ベクトルの恐怖を突然味わわせてくれる。

また、今回は恐怖演出にAI音声のSiriが加わっている。呪いの気配が近づくと勝手に起動し、“依代(よりしろ)” の言葉の解説を勝手に始める。不穏なシーンに突然響く無機質なSiriの声は、なかなか良いインパクトを与えてくれる。現代ホラーらしいアイディアで面白かった。

 

エキストラにガチの双子を起用するこだわり

全編通して一番驚いたのが、エンドロールで紹介されたエキストラの方々。

作中、過去に双子として生まれて村の因習に巻き込まれた人々が恨みを込めて登場するシーンがあるのだが、そこは一人の人物を二人に見えるように映像加工しているのだと思っていた。

しかし、エンドロールでずらりと並べられたのは、明らかに双子と思われるペアの名前一覧。

えっ……あのシーン、映像上でコピペしたんじゃなくて、リアル双子の方々に実際に来てもらって撮影していたの!?と、そのこだわりように驚かされた。あれだけの数の双子が集まったことにも驚いた。

 

結論、いつもの村シリーズ

村シリーズで一番新しく制作されたこともあってか、シリーズでは最も見やすい作品だった。

『犬鳴村』のように関連人物が多めでわかりにくいこともなく、『樹海村』のようにホラーのモチーフがごちゃつくこともなく、キャラクターの個性もあって映画として一番まとまっていた。

が、物語の大筋は三部作すべて同じだし、展開もオチも同じなので、結果的に受ける印象もほぼ同じになる。結局前作と同じパターンだったと言うしかなく、新しい感想を抱きにくい。

『牛首村』単体で面白いと感じる部分もあるからこそ、三部作のひとつとして消費されるにはもったいない作品だと感じた。

 

 

※以降激しいネタバレ注意※

 

映画を最後まで見終わっても、わからないところや納得できないところ……そんな点をQ&A方式で考察してみる。

 

自問自答Q&A

Q. 牛首村の呪いって結局何だったの?

A. 双子の片割れを神のもとに返すという名目で深い穴に落とし、口減らしをする風習があった牛首村。今もどこかに渦巻く、葬られた双子の怨念こそが村の呪いである。バスの中で蓮を襲った大量の霊は、村の因習の犠牲となった双子たちだった。

ただ今回、奏音と詩音を襲ったのは「村の呪い」という抽象的なものではなく、奇子(あやこ)という特定の個人。穴に落とされても死ぬことができず、助けを求めても怖がられて攻撃され、恨みレベルMAXになった奇子の怨霊による犯行である。

 

Q. 奇子はどうして奏音や詩音を襲ったの?

A. 幼かった頃の奏音を連れ去ろうとしたり、詩音に乗り移ろうとしたり、何かと双子に執着する奇子。なぜかといえば、「ひとりぼっちは寂しいから」である。双子であれば片方は自分と同じように穴に落とされる。自分のもとに来てくれる。そう思って双子のどちらかを引きずり込もうとしていたのかもしれない。

 

Q. 奇子はどうして自身の双子である妙子を襲わないの?

A. 妙子の夫であるおじいちゃんいわく、若い頃に駆け落ちのような形で妙子と一緒に村を出たということなので、物理的に村から遠ざかったために呪いを回避したと思われる。

しかし年をとって元の土地に戻ってきた時、奇子の呪いを受けた可能性はないだろうか。うわ言のように村のわらべ歌を口ずさんだり、奏音や詩音の気配に敏感だったり、寝たきりで力もないのに牛首の石を手にした途端にものすごい力を発揮したりと、スピリチュアルな言動が見られる妙子。これが元来の霊感の強さから来るものか、認知面の低下とともに顕在化してきた不思議パワーなのかは分からないが、ひょっとすると綾子の呪いを受けて精神異常の状態になっているのかもしれない。

 

Q. 牛首村ってどこにあるの?

A. この映画、色々な場所の設定および位置関係がよく分からない。牛首村という場所が、犬鳴村のように現在は地図上から無くなった過去の村なのか、樹海村のように都市伝説化された場所なのか、それとも今も実在している村なのか、明確に説明されるシーンは特に無かったと記憶している。

奏音の実家=詩音が現在も住んでいる場所には牛首地蔵があるため、奏音たちの地元が牛首村の位置と同じであることは推察できる。

 

Q. 奏音と詩音以外、坪野鉱泉に行った人たちはみんな死んだけど、坪野鉱泉に呪われたってこと?牛首村は関係あるの?

A. 死ぬ直前、ガラスや鏡に映る自分の顔に牛の頭が被さっているように見えることから、牛首村の呪いであることは間違いない。

坪野鉱泉と牛首村は次元が繋がる特殊な関係性なので、坪野鉱泉に行くと牛首村の呪いを受けてしまうのだろう。まぁでも単純に、心霊スポットで騒ぎながら配信したり、立ちしょんしたり、タバコ吸ったりしたことで霊の怒りを買っただけかもしれない。

ちなみに、なぜ坪野鉱泉と牛首村が繋がっているのか、その理由はよく分からない。実在の心霊スポットである坪野鉱泉をどうにかして本編と絡ませたかった、ロケ地に使いたかった、という大人の事情しか思い浮かばない。

 

Q. 最後、詩音の顔が奇子にすり替わっていたのはどういう意味?

A. 恐怖の村シリーズお決まりのオチ、「呪いは解決したかと思いきや実はまだ続いている」という後味悪い演出である。Siriが繰り返し発言していた “依代(よりしろ)” の言葉どおり、奇子は詩音を依代として生き続けることに成功した。彼女の怨念による犠牲は今後も続くのか、その真の結末は誰にも分からない。まぁでもひとりぼっちは寂しいので、ひとりじゃなくなって良かったですね奇子さん。

 

Q. インターネットでネタバレ解説を見ると、映画から読み取れる以上の情報量の解説がされている気がするんだけど?

A. 牛首村には小説版もあるので、もしかすると小説の方により詳細な設定があるのかもしれない。

ラストは詩音が結婚して、でも奏音は蓮を亡くしているから詩音の幸せが許せなくて呪いパワーが生まれてしまって……みたいな、そんな展開あの短いラストシーンだけで分かる?私は分からなかった。

 

おわりに

『犬鳴村』『樹海村』、そして『牛首村』と揃って、恐怖の村シリーズ三部作を無事完走。この中では、本作『牛首村』が最も見やすくて分かりやすい内容だったと思う。

ただ、このシリーズ自体が私個人の好みかどうかで言うと正直全然ハマらなかった。ミステリー要素もホラー演出もそれなりで、お化けサイド・人間サイド共に光るキャラクター性はなく(一番輝いていたのはファーストペンギン枠のアッキーナ)、考察し始めると設定の矛盾点が気になって捗らない。

でも海外製のスプラッタばりばりで最終的になんかモンスターが出てくるみたいな作品よりも、日本的な不気味さと後味の悪さが好みだという人にとっては面白いと感じる部分もあるシリーズだと思う。中身はともかく、気になっていたホラーシリーズをひとつ見終えたという達成感は味わった。

 

清水崇監督の作品、次は何を見ようかな。『こどもつかい』、『忌怪島』、『ミンナのウタ』……どれも評判的には微妙だけど、次々に新作を出してくる姿勢は評価されるべき。いや、評価はされてるか。じゅうぶん。