あみめの映画ぶろぐ

ポップコーンはキャラメルかバター醤油

油断しているほどダメージ食らう呪怨系ホラー『ミンナのウタ』(2023)

『ミンナのウタ』は、清水崇監督による日本のホラー映画。2023年公開。

呪怨』で有名な監督だが、最近は『犬鳴村』を始めとする村シリーズで肩透かしを食らわされ続けた結果、どうせ今回も怖くないのではという雰囲気が漂っていた。

しかし蓋を開けてみれば、「ド直球なJホラー」「油断していたが怖かった」という評価が多く、ホラー好きの間でも意外と好意的な感想が多い。実際どうなのか、アマプラで視聴してみた。

 

 

映画『ミンナのウタ』とは

ジャパニーズホラーの巨匠・清水崇監督 最新作

『リング』貞子/『呪怨』伽椰子に次ぐ、最狂ホラークイーン誕生

一度聴いたら伝染する呪いのメロディーを奏でる、少女・さなの怪異が迫り来る───

ハリウッドリメイクもされジャパニーズホラーの一時代を牽引した『呪怨』、近年では『犬鳴村』をはじめとする<恐怖の村>シリーズの大ヒットなど、オリジナル作品を発信し続ける清水崇監督の原点回帰を思わせる最新作。

 

得体の知れない、“人間の情念” が一番怖い

ジャパニーズホラーの真髄がここに

このメロディー、口ずさんだら最期───

(公式サイトより引用)

movies.shochiku.co.jp

『ミンナのウタ』は、さなという少女の狂気が描かれる物語。村シリーズのような「村の悪しき風習」「土地の呪い」といった概念的なホラーと違い、一人の明確な元凶が存在する。霊現象的な不気味さもさることながら、人間の持つ底知れない闇を題材とした王道ホラーだ。

監督の次作となる『あのコはだぁれ?』(2024)にも通じる内容となっており、さなという少女を新しい時代のホラーアイコンにしようという想いが感じられる。

 

ちなみに公式サイトは『さなのホームページ』として作られており、さなが歌をカセットテープに録音した平成時代のインターネットに寄せてデザインされている。細部へのこだわりがすごい。

 

あらすじ

(公式のあらすじはあまりにも長かったので冒頭のみ紹介)

人気ラジオ番組のパーソナリティを務める、GENERATIONSの小森隼。収録前にラジオ局の倉庫で30年前に届いたまま放置されていた「ミンナノウタ」と書かれた一本のカセットテープを発見する。その後、収録中に不穏なノイズと共に「カセットテープ、届き…ま…した…?」という声を耳にした彼は、数日後にライブを控える中、突然姿を消してしまう。

(公式サイトから引用)

この作品の最大の特徴は、GENERATIONSのメンバーが本人役として登場すること。ちょい役かと思いきや、最後までしっかりメインを張っている。

GENERATIONS主演で映画一本作りましょう!という大人の事情で作られたやつか……と誰もが油断していたはずだが、意外にもホラーシーンの気合いの入り方がすごい。ホラーが苦手なファンの方にとっては、なかなかの苦行かもしれない。

少女の作った歌を口ずさんだ者が次々に消えていく。歌を聴いた者はそのメロディーを無意識に歌ってしまい、周囲の人間へと歌が伝染していく。少女・さなとは一体何者なのか?……というのがざっくりとした本作の内容だ。さなの正体に迫っていくのがマキタスポーツ演じる探偵の男とGENERATIONSのメンバー、そして早見あかり演じるマネージャーである。

 

感想(ネタバレなし)

GENERATIONS×清水崇

この映画はGENERATIONSファンのための映画であると同時に、清水崇が表現したいホラーを盛り込んだ作品でもある。ホラーはアイドルの登竜門的なもので(GENERATIONSはアイドルではないが)これまでにもそういったホラーは数多く制作されてきた。本作もキャストありきの内容でホラーは二の次な作品と予想していたが、意外にも清水監督の癖やこだわりがしっかりと感じられる。どちらのファンも楽しめる内容となっていた。

 

母親の恐怖演出が優勝

本作が怖いとされる最大の要素は、さなの母親の登場シーンだろう。一見優しそうな母親だが徐々に様子がおかしくなり、最終的には全力の顔芸でキレキレのホラーかましてくる。すべての登場人物の中で圧倒的存在感を放ち、演技部門は完全に優勝。大変インパクトあるシーンだった。

『シャイニング』や『ヘレディタリー』にも通じることだが、怖いホラー映画はだいたい役者の顔が怖い。その意味でも本作の母親は、作品全体の印象を決める重要なキャラクターだった。

 

テンポ感は微妙

GENERATIONSの全メンバーに見せ場を作らないといけないのはわかるが、いかんせん数が多いので同じようなシーンを繰り返されている気がしてくる。物語前半、探偵が一人ずつ聞き取りをするシーンがまさにそうだった。メンバーそれぞれが断片的に証言する流れはずっと同じ室内で、代わり映えしないので飽きてしまう。霊に襲われるシーンも全員分あるから、見る方も大変。

あと、途中で画面がカラオケ映像っぽくなるコメディシーン(?)があるのだが、一曲でも多く挿入歌を流したいだけの演出としか思えないし正直滑っていた。

 

少女の狂気

伝染する歌の作曲者である少女・さな。彼女は一体何者なのか。彼女の印象について担任教師と同級生とで食い違いが生じていたが、本当の彼女はどんな思考で、何をやってきたのか。一本のカセットテープを何度も聴きながら、徐々にさなの本性に近づいていく展開は面白い。B面の存在や逆再生などのホラーあるあるテクを駆使しながら、テープに込められたものを解き明かしていく。

ちなみにSNSでは「平成5年が30年前だという事実が一番怖い」という意見があった。もっともな話である。

 

呪怨のセルフオマージュも

さなの弟の名前が『としお』であるなど、呪怨を思わせる演出がところどころで見られる本作。一番見たくないものが布団の中から出てくる最悪展開、通称「布団バリア破壊」のシーンも再現されていた。呪怨シリーズが好きな方ならより楽しめるかもしれない。

 

グロはほぼない安心設計

初見は気になるであろう、「このホラーはグロいのか?観ても大丈夫なのか?」という問題。ホラー映画なので誰も死なないというわけにはいかないが、グロテスクな血や肉の描写はない。腕が傷だらけになるシーンが少しあった程度のレベルなので、グロが苦手な人は安心して観てほしい。グロがなくても怖いシーンはちゃんと怖いと感じられるので、そこも安心してほしい。

 

 

※以下ネタバレ注意※

 

 

感想(ネタバレあり)

さなの狂気とは何なのか

ラジオ番組に自作の歌を送り、多くの他者に歌を聞かせようとしたさな。学校の文集の中で、彼女は冒頭から「夢は私のウタをみんなに届けて、みんなを私の世界に惹き込むこと」「みんなの魂の声を聞き、集めたい」と綴っていた。

彼女の言う「魂を集める」とは、生き物の命を奪い、断末魔をテープに録音して収集すること。動物、同級生、母のお腹にいた赤ちゃん、そして遂には自分自身の死を録音すべく、両親を誘導して首を絞めさせた。さながいつも首にかけているテープレコーダーは、最後に自分の断末魔を録音するための物だったのだ。

クライマックスではなぜか掃除機のコードと一体化したさなが歌いながら威嚇してくる。黒い血管が浮き上がった皮膚が不気味でありながらも、少女らしい可愛らしさも残した絶妙なビジュアルだった。

 

さながなぜこのような発想に至ったか、明確には分からない。母親から「産むんじゃなかった」と言われたというさなの発言が本当なら、親からの愛情不足で歪んだ考えを持つようになったのかもしれない。しかし、いじめられているふりや嘘をつく描写もあることから、元々サイコパス気質で物心ついた時から社会的に逸脱した思考を持っていたとも考えられる。

Jホラーの怨霊というと、生前は被害者で死後に恨みを募らせ呪いとなるパターンがなんとなく多い気がするが、本作のさなは生前から加害者という設定が新鮮。次回作でもまだまだ深堀りできそうなキャラクターである。

 

呪われた高谷家

ネタバレなしの項目でも書いた母親の恐怖演出。さなの実家である高谷家でのシーンだ。玄関に入ると、奥の部屋から妊婦の母親が顔を出す。彼女は「今は手が離せないので少し待ってほしい」と話し、二階にいるさなに向かって自室を掃除するよう声をかけ、奥の部屋に引っ込む。

しばらくするとまた顔を出し、「今は手が離せないので……」と先程とまったく同じ会話、二階への声かけを繰り返し、奥に引っ込む。

しばらくするとまた顔を出し、「今は手が離せないので……」

無限ループである。おかしいと気づいても体が固まってしまい動くことができない。するとループのパターンが急に変わった、かと思いきやものすごい勢いでこちらに突進してくる母。劇中屈指のホラーシーンだ。

 

さらに恐ろしいことに、母の登場シーンは一度だけではない。ホテルの部屋で縮こまっていると、部屋のドアがゆっくりと開き、母が顔を出す。「今は手が離せないので……」例の言葉を繰り返す。

もはや驚きや恐怖を通り越して絶望である。高谷家に直接行かなくても、扉さえあればそこから母親が出てくるかもしれない、逃げ場のない絶望。これぞ隙を生じぬ二段構え。ホラー監督の本気を感じた。

 

さなの家族の存在とは

さなの首をコードで締め上げて殺害した両親。さなに誘導されたとはいえ、人間一人分の重さを何の疑問もなく引き上げ続けるのは無理がある。しかもドアのガラス越しに見える娘の影が明らかに浮き上がっており、誰が見ても異常な状態であることは明白だ。しかし両親はコードを引っ張る力を緩めなかった。母親は狂気の表情。

おそらくだが、両親は自分たちが何をしているのか分かっていたのではないか。さなが妊娠中の母に危害を加え、実の弟を襲ったことで、両親の精神は限界だったはずだ。さなの死後に高谷家は廃墟化し、母親はこの世のものではなくなっている。

 

疑問なのは、弟・としおの存在。霊として出てくる彼は赤ちゃんではなく、成長した子どもの姿をしている。お腹にいるうちに殺されたことと辻褄が合わない。

可能性はふたつ。ひとつは、としおが死んでいなかった説。さなに襲われても一命を取り留め、あの年齢まで生きていた説だ。もうひとつは、あの子どもはとしおではなく全然別の幽霊説。これだとしたらさすがに怖い。誰?

 

垣間見える大人の事情

ホラー映画としての見どころはあるものの、やはり「GENERATIONS主演映画」という大前提がある以上、GENERATIONSの方に丁寧なスポットライトが当たっている本作。

全員にセリフと見せ場があり、ダンスシーンも入れて、BGMとして楽曲(計10曲)を流し、メンバーが汚れを被る描写は一切ない。本編では恐怖でこわばった表情を多く見せていた代わりに、最後は華やかなライブ会場で普段通りのエネルギッシュなパフォーマンスを披露して閉幕。

「GENEファンに向けたぬるいホラーかと思ったらしっかり怖かった」という評判に違いはないが、原点回帰のホラーというわりには大人の事情がノイズのようにチラついて見える。芸能事務所の指示の範囲内でホラー好きも満足できるヒット作を作らないといけない監督は大変だったろうな、というのが正直な感想だった。

 

おわりに

「予想よりずっと怖い」「呪怨レベルのホラー」と評価の高い映画『ミンナのウタ』。ホラーとして評価されている部分も理解できるがGENERATIONSの存在感がありすぎて、ファンサとホラーの温度差が激しい作品だった。

さなというホラーアイコンについても明かされていない部分が多く、次回作の『あのコはだぁれ?』への興味が高まる。清水監督のがっつりホラーが見られたら嬉しい。

 

メガロドンvsステイサム、俺たちが見たいのはそれだけ『MEG ザ・モンスター』(2018)

MEG ザ・モンスターは、ジョン・タートルトーブ監督によるアメリカ・中国合作のアクション・スリラー映画。2018年公開。原作はスティーヴ・オルテンによる1997年の小説『Meg: A Novel of Deep Terror』。

「サメ映画」というのはひとつのジャンルとして確立されており、世界中に一定数のファンがいる。だいたいB級映画であり、ジョーズ以外はすべてクソ」という評価も見たことがあるが、頭を空っぽにできるエンタメ性と独特のサブカルっぽさにハマる人がいるのもわかる。

MEG ザ・モンスター』に対する世間の評価は高くもないが低くもない。中には高クオリティだと絶賛する人もいる。じつは私は劇場公開時に映画館で観ており、全然ハマらなかった。もう一度見直してみたら、面白いと言われる部分が見えてくるだろうか。そう思い、今回改めてアマプラで視聴した。

 

 

映画『MEG ザ・モンスター』とは

人類は決して見つけてはならないものを、見つけてしまった。 メガロドン、通称MEG(メグ)―― “それ”はかつて海を支配した、ジョーズの3倍以上大きな最恐の巨大ザメ。 200万年前に実在した“それ”が、絶滅した確たる証拠は今の所見つかっていない。 この夏その恐るべきモンスターが海底の奥深くから、あなたのビーチまで浮上してきたとしたら…。 『ワイルド・スピード』シリーズで無敵をアピールした”陸では敵なし”のジェイソン・ステイサムだが、この敵には勝てそうにない。 できるのは逃げることのみ。『ジュラシック・ワールド』を超えたスリルが、ここにある!

(公式サイトより引用)

warnerbros.co.jp

映画内ではメガロドンという単語が当たり前のように出てきているが、これってそんなに一般的な知識なのだろうか。メグという名で知られているというのも、サメ映画界では常識かもしれないが少なくとも私はこの映画で初めて知った。

上記イントロダクションのとおり、メガロドンは今から2500万~400万年前(古代の話は時間の概念がガバガバすぎる)に実在した肉食性の巨大ザメで、外見的特徴や生態は実際の化石から分析されている。この古代ザメが、人の立ち入らない深海で今も密かに生きていた……というのが本作の世界観。

 

ところで、公式文章のジュラシックワールドとの比較は何なのだろう。監督も配給会社も違うのに、引き合いに出すのはなぜなのか。

Google検索では、続編となる『MEG ザ・モンスターズ2』の紹介文としてほとんどすべてのメディアページで「海のジュラシックワールド!」と書かれていた。MEG2は未視聴だから内容を知らないし、ジュラシック側がどう思っているかも分からないが、たぶん比較になるようなものではない気がする。

 

あらすじ

大陸から200キロ離れた海洋研究施設から、潜水した探査船が未知の海溝を発見。しかし、喜びもつかの間、船は未知の海域で消息を絶った。潜水レスキューのプロ、ジョナス・テイラー(ジェイソン・ステイサム)は、救助に向かった先で、生物学の常識を超えた“モンスター”=MEGと遭遇。しかし、その恐怖は単なる始まりに過ぎなかった。

船を破壊し、研究施設を壊滅させたMEGは、陽光まばゆいビーチをも恐怖に陥れようとしている。ジョナス率いる海洋エキスパート・チームは、この危機をどう乗り切るのか?人類は、果たしてこの脅威から逃げ切ることができるのか!?

(公式サイトから引用)

 

舞台となるのは中国の上海に建設されたマナ・ワン海洋研究所。マリアナ海溝のさらに下の階層を探索していた潜水機が、何か(※MEG)に襲われ、ステイサム演じるジョナスがレスキューとして呼ばれることになる。これをきっかけにメグとステイサムとの戦いが始まる。

あらすじは色々とあるがすべてはメガロドンvsステイサムという夢のタイマンバトルを実現するためのお膳立てに過ぎない。

 

感想(ネタバレなし)

メガロドンvsステイサムの真っ向勝負

もはやこれしか言うことがないほど、本作のメインコンテンツはステイサムとメガロドンとの熱いバトル!文字通り本当に海中で直接対決が繰り広げられるので、視聴者の期待を裏切らず思う存分楽しませてくれる。互いに負ける姿を想像できない両者だが、勝つのは果たしてどちらか。

 

迫力あるCG映像で輝く巨大ザメ

令和の時代になっても時々信じられないほどのクソCGがみられるのがB級映画界隈。だが本作ではリアルなCG映像で迫力ある画面が展開される。メガロドンの巨大な体やありえないほど本数の多い歯がすぐそこまで迫ってくるドキドキ感を、CGがより増幅させている。サメ映画なのだから、とにかくサメが躍動しているところが見たい!大きさと迫力を体感したい!という人は満足できるだろう。

 

人間側の設定は浅い

サメの映像をがんばった反面、人間サイドのキャラクター設定や行動動機は浅い。どのキャラクターもステレオタイプ的で、会話は薄っぺらいし関係性への説得力もない。なんか死んだり死ななかったりする人間たちが適当に存在しているという印象しかない。

あとこれは仕方ないかもしれないが、ステイサムがステイサムでしかないので、ジョナスという架空のキャラクターへの思い入れが一切ないまま終わる。

 

嚙み合わない演技への違和感

アメリカ演技とアジア演技の噛み合わなさというか、タイプの違いというか……直球で言ってしまえば、ヒロイン役の演技が不自然に浮いているのが視聴中ずっと気になった。

日本のドラマにもよくみられるアニメっぽいコミカル演技、ティーン向け映画のようなノリで表現される恋愛感情。現実世界に全然溶け込めていないのだ。ステイサムもある意味では漫画の中の超人のような存在感ではあるが、それとはまた違った作画のヒロインっぽさというか、つまり噛み合っていない。このヒロインの妙な存在感が気になりすぎて、作品のノイズになっていると感じた。真ヒロインはメグだけれども人間ヒロインに割く時間も多いわけだし、それが魅力的に思えないから映画の魅力も薄れていた。

 

 

※以下ネタバレ注意※

 

 

感想(ネタバレあり)

現代の支配者はメグか?ステイサムか?

この両者、結局どっちが強いのか?本編ではほぼ互角の勝負だったが、ステイサムの決死の攻撃により満身創痍となるメガロドン。傷ついた体から流れ出る血の匂いに集まってきたのは、大量の小型ザメたち。動きの鈍ったMEGに群がり、その肉を裂いて共食いを始める。古代最恐の巨大ザメ・MEGを倒したのは、現代に生きるサメたちだったのだ……。

このオチのつけ方は、古代のサメへのロマンも残しつつ、いま現代に適応している者が一番強いのだという説得力もあって良かった。人間はたくさん死んだけれど犬だけは助かって、何だかそれだけで全部うまくいったような空気になったのは「え?」と思ったが、直後に陽気な歌に合わせて速攻でエンドロールが流れ始めたので、「あ、もう考えなくていいや」とすべてを放棄した。

メガロドンも強い。ステイサムも強い。両者へのリスペクトを感じる結末だった。

 

MEGの恐怖感は予告編が最高潮

ホラー・スリラー系の映画にありがちだが、結局予告編が一番怖いという話。MEGの活躍シーンはほぼすべて予告映像で出尽くしており、それ以外は人間同士のおまけみたいなやり取りで繋いであるだけなので、MEGの魅力を手っ取り早く観たいなら予告を観れば事足りてしまう。

ただし本編はサメと同じくらいステイサムの活躍も見どころなので、ステイサムを観るために本編を視聴する。そのくらいの感覚である。

 

恋愛要素がマジで邪魔

ヒロインに関する違和感は前の項目にも記載したが、彼女が物語に食い込んでくる部分が本当にいらないと感じる。彼女を魅力的と思えないから、ステイサムが彼女に好意を持つ理由に共感ができない。

というか、そもそもサメを観に来ているのだから中途半端な恋愛描写は邪魔でしかない。なのに意外とその恋愛匂わせシーンが多い。描写したいならもっと作り込むべきだし、それをしないならもっとシンプルにすべきだ。

旦那がピラティスの先生と不倫しているとかいう、本編とは1ミリも関係のない要素もいらなかった。そしてそれを8歳の娘のセリフとして、「ママはあのバカと結婚したせいで立ち直れないって」と言わせるのもどうかと思った。ママの真似をして、実の父親を “あのバカ” 呼ばわりすることは、子どものセリフとしてはちょっと気持ち悪い気がする。ステイサムとママの恋愛を娘も肯定的に見守っていると描写したかったのだろうが、生意気な女の子キャラを出演させるために薄い不倫エピソードをぶっ込んだとしか思えない。

他の視聴者はこのヒロインの感じが気にならないのだろうか。私は初見からこれのせいで全然ハマれなかった。

 

中国資本が前に出過ぎた印象も

個人的に中国に対する偏った考えがあるわけではないが、この映画に関しては中国資本アピールをびしばし感じてちょっと胃もたれしそうだった。思想とかではなく、単純な資本力の誇示だ。

見るからに莫大な資金で建設されたであろう世界最高レベルの海洋研究所が上海にある設定もそうだし、一般人として出てくる人々は結婚式をクルーズ船で行ったりビーチで遊んでいたりと全員明らかに富裕層。ついでに中国人の博士はいつも香水のいい匂いをさせている。そして研究所に投資したのは圧倒的財力を持つアメリカ人。中国はこんなに経済力があるしアメリカとも対等にやっている、という自負をすごく感じる。

ただでかいサメを観に来ただけだったのに、予想外の角度からアピールをされて困惑した、というのが率直な感想だった。

 

サメ映画ならB級でも許されるという風潮

本記事の冒頭にも少し書いたが、私は映画公開当時、これを劇場まで観に行った。観る前からB級感は否めなかったが、映画館の大きなスクリーンと迫力の音響があればB級でも楽しめるはずだと、こういうエンタメ極振りモンスター映画こそ劇場で体感すべきだと、そう信じたからだ。

しかし結果的にはつまらなかったという感想が一番に来てしまった。サメのCGちゃんと出来てるなぁとは思ったがそこまで没入感はなく、恐怖や驚きも弱く、人間キャラは(ステイサムは人間超えてるから別として)誰も好きになれないし、劇場で観てもこんな感想しか出ないことにがっかりした。

 

サメ映画はとにかくB級映画っぽいノリで押し切って、視聴者から「クソ映画じゃねーか!」とレビューされればそれで良い。何となくそんな風潮があるが、本当にそれで良いのか?クソみたいな内容でも「まぁサメ映画ってそういうものだし」で片づけて良いのか?期待値の低い映画についてマジメに感想言うのは無意味なことなのか?

私はどんな映画でもマジメに考察したい。作品には作った人たちの情熱と、視聴した私の人生の時間が費やされているのだから。その上で言いたい。『MEG ザ・モンスター』は私にとって全然おもんない映画だったぞ!!!!

 

おわりに

今更だがレビューは個人の感想でしかないので、気になったら各配信サイトで視聴してみてほしい。私はもう少し時間が経ってMEG ザ・モンスターズ2』がプライム枠に降りてきたら観ようと思う。許してほしい、もう劇場にお金を落としたのだから。

 

湿度たっぷりの恐怖と切なさが心に残る名作『仄暗い水の底から』(2002)

仄暗い水の底からは、中田秀夫監督による日本のホラー映画。2002年公開。原作は鈴木光司の同名短編小説。

ジャパニーズホラーらしい雰囲気抜群の作品で、個人的に好きなので何度か観たことはあるが、この度YouTubeで期間限定公開されたと聞いてまた観てしまった。やっぱり面白い。海外ホラーにはないワビサビを感じる。新鮮な感想は書けないが、何度も噛みしめた後の感想として記録する。

 

 

映画『仄暗い水の底から』とは

「リング」で大ブームを起こした原作者と監督のコンビが再びホラーに挑んだ話題作。主演の黒木瞳はホラー映画初挑戦。テーマが「母性」だけに、結末で感動を呼んでいる。

(映画.comより引用)

eiga.com

『リング』といえば中田秀夫監督だが、原作者の鈴木光司も本作『仄暗い水の底から』と共通している。リングに通じる日本的なじわじわホラーの空気感は本作でもしっかりと感じられる。リングが好きなら本作も好きという人が多いだろう。

母親役の黒木瞳はホラー初挑戦とのことだが、とてもそうは思えないほどホラーにハマっていた。精神的に追い詰められた不安定な母の演技が上手すぎる。

 

あらすじ

離婚調停中の淑美(よしみ)とその夫は、娘の親権をどちらにするかで話し合いが続いていた。新居が決まっていないことを調停員に指摘された淑美は、娘の幼稚園から徒歩圏内の団地に入居。湿気が高く、清掃もあまり行き届いていない古びた建物だったが、選り好みしている時間はなかった。

入居してからは天井の水漏れや足音に悩まされるが、上階の住民を訪ねても誰も出てこない。そして、娘が見つけた子ども用の赤いポシェットが、何度捨てても淑美の前に現れる。徐々に精神が擦り減っていく淑美。そんな母娘をじっと見つめる、一人の女の子がいた……。

 

***

舞台となるのは古いマンション。寂れた雰囲気やじめじめした質感がいかにも和製ホラーっぽい。そしてタイトルにもある通り「水」がキーワードになっており、水にまつわるホラー演出が次々に展開される。

主人公の淑美が精神的に不安定な上、離婚調停のストレスでヒステリックになっているというのも、作品の雰囲気を担う大きな要因だ。黒木瞳演じる彼女の不安げで弱々しい表情が、本作をホラーらしい暗く陰鬱なイメージに仕上げている。

 

感想(ネタバレなし)

タイトル通りの仄暗い雰囲気が最高

ジャパニーズホラーといえば、じっとりと湿度の高い空気、纏わりつくような不穏な気配、精神的に追い詰められるじわじわ系の恐怖演出、そして全体に漂う物悲しさ。本作はまさにそういった内容で、いわばJホラーのお手本のような作品。海外ホラーでよくみられるグロ・スプラッタ描写や、ドカンと驚かせてくるびっくり演出、殺人鬼やモンスターが大暴れする豪快さは一切ない。あるのは死者の怨念と生者の息苦しさ。タイトルの「仄暗い」という表現がぴったりの作品だ。わかりやすい派手な恐怖感を求めている人には物足りないかもしれないが、Jホラー特有の嫌な雰囲気が好きな私はとても楽しめた。

 

水に特化した豊富なホラー演出

「水」が重要なキーワードになっている本作は、水にまつわるホラーが存分に味わえる。天井から水がしたたり落ちてきたり、床が水で濡れていたり、蛇口の状態がおかしくなったりと、霊が近づいてくるにつれて水の演出も増える。霊からの直接的なアプローチも水から来るので、水縛りでこんなにも多彩な演出ができるのかと感じる。

そして、天気も雨が多い。幼少期の淑美が母を待っている時、現在の淑美が娘を迎えに行く時、誰かが不安な気持ちになっている時にはいつも雨が降っている。物理的な湿度の高さとどんよりした画面が、精神的にも重くのしかかってくる。常に薄暗い映像だからこそ、ふとした時に映り込む霊がより怖く見えるのだ。

 

後半は物理パワーでぶっ叩いてくる演出も

物語前半は、霊が直接襲ってくる場面はほぼないに等しい。視界に少しだけ映るとか、水回りに異常が見られる程度のアプローチしかしてこない。しかし後半、姿を現した怨霊は途端に爆発的な物理パワーを見せる。それまでの静かな恐怖が嘘のようなパワープレイ、力技すぎてちょっと笑ってしまうほどだ。ホラーとコメディは紙一重であると改めて感じる怒涛の勢いだった。

 

最大のテーマは「親子愛」

本作はホラー映画ではあるけれども、それより強く感じるのは「親子愛」というテーマ性。冒頭から娘の親権の話で始まり、自身の母との関係性や、行方不明の子どもの境遇など、本作に出てくる親子(母と娘)はそれぞれ問題を抱えている。幼少期から今に至るまで孤独と苦労に苛まれてきた淑美が、同じく孤独な霊に対峙した時にとった行動……バッドエンドともハッピーエンドとも取れる結末を迎えるが、本作を最後まで観た後に残るのは、恐怖の印象よりも母の示した愛情の切なさや悲しみなのである。そういう意味では、ホラーでありながらもヒューマンドラマ系の作品と言える。この大きなテーマが作品の印象をより心に残るものにしている。

 

 

※以下ネタバレ注意※

 

相関図

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主な登場人物は主人公の淑美、娘の郁子、そして行方不明の少女・美津子というシンプルな構図。他にも淑美の現実を苦しめるいろいろな人たちがいるが、淑美たち以外が霊現象に巻き込まれることはない。

こうして図にすると分かりやすいが、全員親の離婚を経験している(美津子の両親については「離婚」という単語は使われなかったものの、娘を置き去りにして家を出た母の状況を考えると実質的な夫婦および家族関係は終わっている)。彼女たちの孤独が展開の鍵となっている。

 

感想(ネタバレあり)

孤独が孤独を呼ぶストーリー展開

この物語は、ただ主人公が霊現象に巻き込まれるだけの話ではない。なぜ主人公が霊の標的となったのか、きちんと理由付けがされている。

怨霊となった美津子は孤独だった。実母からの愛情は受けられず、自身は誰にも見つけてもらえないまま死を迎え、「母」という存在に飢えていた。そんな時、自分と同じ歳の娘をもった女性が引っ越してくる。この母親なら気づいてくれるかもしれない、気づいてほしい、こちら側に引き込みたい……美津子にはそんな思いがあったはずだ。もし淑美ではない誰かがあの部屋に越してきたとしても、同じことが起きたかは分からない。そう思えるほど説得力のある設定だ。

 

怖すぎる「すり替えトリック」

さりげないホラー演出ひとつひとつにも雰囲気があって怖い。何度捨てても目の前に現れる赤いポシェット、監視カメラに見切れるようにして映り込む子どもの影、誰かの手を握った感触、蛇口から出てくる髪の毛などなど……。

だが、もっと大胆で印象深いホラー演出といえば、霊が暴れ出してからのエレベーター内で起きる「子どもすり替えトリック」。ここが本作の一番の山場ではないだろうか。娘を抱きかかえて逃げていたはずなのに、向こうから娘が歩いてくるのが見える。あれ?じゃあ今私と一緒にいるのって……と気づいた瞬間。ちょっと感動するほど絶望的だ。

全体的に好きなホラー感なのだが、給水塔の内側から全力でパンチしてきたり、エレベーターからものすごい勢いで水が噴き出したりと、急にパワー全開の演出が挟まってくるのでテンションの変わりようにびっくりする。ある意味面白い。

 

信頼できない冷徹な大人たちの描写

登場人物の特徴として、大人がだいたい冷たい存在として描かれる。夫は(淑美の主張によると)育児にほとんど関与せず娘の誕生日すら忘れるのに、弁護士を雇って自分に有利な情報を調停員に流し、親権を勝ち取ろうとする。淑美の精神に問題があるという情報を受け取った調停員の口調はだんだんと厳しくなる。マンションの管理人はこちらの困りごとに耳を貸さない。新しく通う幼稚園の先生たちは、悪いことをした園児に対して泣くまで激詰めする。淑美の味方をしてくれる弁護士は冷静な人物で、淑美の言うことを論理的に解釈し、解決できる部分は対応するが感情的に寄り添うことはない。

また、キャストとしては出てこないが淑美の両親も離婚している。いわゆる毒親育ちの淑美だが、自分はそうはなるまいと必死で娘に愛情を注ぎ、過保護なまでに大事に育てている。しかし結果的に淑美自身も離婚することになり、少なからず娘の郁子に気を遣わせている。

 

登場人物に優しい人が多ければ、淑美はもう少し穏やかになれたかもしれない。しかしそうはいかない。実際は誰も彼も冷たく利己的で、そんな周囲の環境が彼女をじわじわ追い詰めていく。そして淑美の離婚によって、郁子もかつての淑美と同じ立場にさせられている。幼稚園の迎えを待つ郁子の寂しげな姿は昔の淑美と重ねられる。

淑美の愛情によって母娘の絆は強固なものになっているが、傍から見るとこの作品に「良き大人」はいないと感じる。この冷徹さが作品の暗い雰囲気をより強めている。頼れる大人がいるホラーは怖くない。誰も頼ることができない、信じられる人がいないからこそ怖いのだ。

 

悲劇か救済か?切ないエンディング

最終的には母が娘を守るために犠牲となるのだが、ただ身代わりになっただけではない、もっと深い動機が淑美にはあったように思う。淑美自身、子どもの頃に美津子と同じような経験をしていた。美津子の過去を視て、幼い彼女の孤独を知った。実娘の郁子を守りたいのと同時に、美津子の悲しみも救いたいと思ったのではないだろうか。それは美津子を自分に重ねたからであり、もしかしたら郁子にも重ねたかもしれない。だからこそ「私がママよ」と美津子を抱きしめ、自ら取り込まれる選択をした。淑美の孤独が美津子の孤独を癒し、郁子は守られた代わりに孤独となる結末となったのだ。

ここまでなら郁子にとっては悲劇だが、ラストシーンで大きくなった郁子が母と再会する場面が用意されている。淑美は寂しそうに「ごめんね、一緒にいられなくて」と言って消えてしまうが、物語の最後は、「母はずっとここで私のことを守ってくれていた」という郁子の独白で締めくくられる。このシーンによって、郁子の孤独が10年越しに晴らされたことがわかる。生きて一緒にいられないという意味ではバッドエンドだが、変わらぬ母娘の愛が示されたことでハッピーエンドとも受け止められる。

個人的には救いのない胸糞エンドも好きなのだが、この作品に関しては優しい救済があって良かったと思えた。

 

おわりに

ジャパニーズホラー特有の嫌な恐怖感を存分に楽しめる映画『仄暗い水の底から』。単なるホラーというだけでなく、悲しくも優しい親子愛の物語としても楽しめる良作である。観た後で心がどんよりするようなホラーが好きな方にぜひおすすめしたい。

ところで改めて視聴して思ったが、映像を観た時の怖さというのは画質も大いに影響するのではないだろうか。この平成画質にしか出せない雰囲気というか、令和のクリアな映像では表現しきれない質感というか。平成とホラーってじつはすごく相性が良いのかもしれない。

 

懐かしのトラウマホラー『ゴーストシップ』(2003)

ゴーストシップは、スティーブ・ベック監督によるアメリカ映画。2003年公開。原題も同じく『Ghost Ship』。

子どもの頃に地上波で見て、冒頭のあまりのグロさに速攻で離脱し、以来私のトラウマになっていた作品。レビューを見てみると同じような経験をした人が少なくない。あれから年月が経ち、大人になった今なら見ることができるかもしれないと、勇気を出して再視聴してみた。

結果、トラウマシーンを無事クリアし最後まで観賞できた。子どもの頃のような新鮮な気持ちがなくなったことを少し寂しく思いつつ感想を記録する。

 

 

映画『ゴーストシップ』とは

海難救助船アークティック・ウォリアー号の乗組員たちは、40年前に遭難した豪華客船を発見。その船を手に入れようと乗船した彼らを次々と異常な現象が襲う。

製作は実はホラーおたくのロバート・ゼメキス率いるダーク・キャッスル・エンターテインメント。ウィリアム・キャッスル監督作のリメイク専門の製作プロだ。監督は同製作プロで「13ゴースト」を撮ったスティーブ・ベック。「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」「アビス」などの視覚効果アート・ディレクター出身。

(映画.comより引用)

eiga.com

ウィリアム・キャッスルは主に1950~60年代に活躍し、ホラー・スリラー映画を数多く製作したアメリカの映画監督。彼の作品のリメイクを専門とする製作プロが本作に携わっている。リメイク専門と言っているが『ゴーストシップ』はリメイクではなくオリジナル作品である。

 

あらすじ

1962年、豪華客船アントニア・グラーザ号で大量殺人事件が起き、船は消息を絶った。40年後、漂流船回収の専門チームの元へパイロットを名乗る男が現れる。男は「海上で謎の船を見つけた」と依頼を持ち掛けるが、その船こそが今や伝説となっているグラーザ号であった。大金の予感につられて船に乗り込むクルーたちを、不気味な怪奇現象が次々に襲う……。

 

***

本作は、豪華客船で行われる優雅なパーティーの映像から始まる。タイトルで流れる音楽はホラー映画と思えないほどロマンティックで、この直後に起きる凄惨な事件とのギャップがえげつない。船上が血に染まったところで、時は40年後に移って本編が開始する。映画の登場人物たちはこの船で起きた事件について知らないが、観客側は知っている、という構図で物語は進む。

事件の犯人は意図的に隠されており、誰が何のために殺人を犯したのかは後半になるまで分からない。犯人は誰なのか?目的は何なのか?船に囚われた死者の魂とは?そして、乗り込んだクルーたちはこの呪われた船から生還できるのか……というのが大まかな内容だ。

 

感想(ネタバレなし)

伝説のワイヤー切断シーン

ネタバレなしと言いつつネタバレするが、開始5分で起きるプロローグ的なシーンなので、もはやネタバレではないと思ってほしい。「昔見て衝撃を受けた」「タイトルは覚えていなかったがこのシーンだけは記憶に残っている」というレビューを多数見る、まさにみんなのトラウマ。

船上パーティーで人々が楽しく過ごす中、突然一本のワイヤーが千切れ、全員の体を横から真っ二つに切断する。何が起きたか分からず静止する人々。時間差で血が溢れ、肉が落ち、船は瞬く間に死体の山となる。作中屈指のインパクトある場面だ。

子どもだった私はここで大ダメージを食らってしまったが、大人になって耐性がついた今なら映像のフィクション感は分かる。が、やはり「ワイヤーで一網打尽に皆殺し(最悪川柳)」という発想そのものに恐怖を感じる。なんてホラー映えする恐ろしい展開だろう。

 

冷静に見てみると、切断面や内臓が鮮明に映し出されるので絵的には相当なグロシーンだが、同時に静けさもあるのが印象的だった。ワイヤー切断時のスピード感と対比させるように、人々が肉片となり倒れていく様子はスロー再生される。人々は小さく呻き声をあげるだけで、パニックを起こす隙も与えられない。この静寂がより絶望を感じさせた。

 

ホラーというよりダークファンタジー

冒頭のグロ描写で離脱した時にはとんでもないホラー映画だ!と恐れおののいたが、本編すべてを見てみると全体的な雰囲気は「ホラー風味のファンタジー」という印象だった。

殺人の描写は残酷だが、幽霊自体のビジュアルは怖くないし普通に話せる対象として存在しているので、ホーンテッドマンションくらいのゴースト感しかない。幽霊が幻覚を見せてくる場面もまるで魔法のような演出がされ、恐怖と高揚を同時に感じる。

キューブリック監督の映画『シャイニング』に通じるものがあるというのは、他のレビューでも見かけた感想だった。呪われた場所に魂を囚われた幽霊たち、生前の様子を幻影として見せる手法など、設定自体が似通っていることもそうだが、豪華客船の中で起こる怪奇現象はホラーの中にもアートのような美しさがある。恐怖と同時に視覚的な面白さがあるのだ。それもファンタジー感を強めている要因かもしれない。

 

あえてホラーっぽくない要素を入れている?

前の項目とも共通する内容だが、この映画は純粋なホラーと言えない、微妙な立ち位置の作品だと感じる。

初めのうちは冒険家たちが宝につられて恐ろしい目に遭う、といったアドベンチャー系の雰囲気があり、霊現象が絡んできてホラーっぽく変化しつつ、「過去の事件の真相は?」という謎に対するアンサーパートによって推理ものっぽさも少し混ざってくる。特に真相解明シーンは直接映像として答えが示され、過去の恐ろしい大量殺人の全貌が明かされるのだが、このシーンのBGMがわりと軽快なノリなので、ホラーというよりドッキリのネタばらし的な雰囲気になっている。

そしてエンドロールになると急に元気いっぱいのヘビメタが流れ始め、これまでのクラシカルな雰囲気をすべてぶち壊して終わる。エンディングにロックやメタルを使うのはB級映画あるあるだが、オープニングが船上の歌姫による優雅な音楽だったので、あまりの方向性の違いに一瞬思考が飛んだ。ホラー以外の要素マシマシにしているのは、あえてなのだろうか。物語が破綻しているわけではないのですっきりと見ることはできるが、「怖かった~」という余韻はなかった。

 

少女の霊が可愛い

特筆すべきこととして、霊体の少女・ケイティが本当に可愛い。血も汚れもついていないクリーンなビジュアルで、淡い水色のドレスワンピースにリボンの髪飾りをつけた姿は人形のような愛らしさだ。彼女の存在が不気味な幽霊船の中でひときわ輝いており、作中唯一とも言える癒し要素となっている。

 

調べてみたら、ケイティを演じたエミリー・ブラウニングは、映画『レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語(2004)』で主人公姉弟の姉・ヴァイオレット役を演じていた。この作品も子どもの頃に見たことがあって、ヴァイオレットのビジュがめちゃくちゃ好きだった。好みの感覚が昔から全然変わっていないことがわかった。(感想文)

 

肌の露出と虫の描写に注意

グロ以外の注意点として、この映画には上半身が完全に見える感じで全裸の女性が出てくる。そこから何か始まるわけではなくただ見えるだけなのだが、一応注意が必要かもしれない。

そしてもうひとつ、恐怖演出としてウジ虫が出てくる。これは人によっては人体切断よりもトラウマになる可能性があるので、虫が苦手な方は要注意。

 

 

※以下ネタバレ注意※

 

感想(ネタバレあり)

派手なグロ描写と奥ゆかしい霊現象

この作品はとにかく人を派手にぶちころがす。冒頭シーンもそうだが、生身の人間が死ぬ時は容赦なくグロで演出する。クルーの一人であるグリーアは、ディーバの霊に惑わされて串刺しになった姿が一瞬ではあるがはっきりと映る。マンダーが水中で機械に巻き込まれてミンチになるシーンも、水のエフェクトがあるおかげで少しマイルドに見えるが、状況としてはだいぶ絶望的な死に方だ。

その一方で、霊の存在を匂わせる演出には静かな不気味さがある。たった今注がれたようなウイスキーグラスが置かれている、タバコの吸い殻がまだ煙を上げた状態で灰皿に残されているなど、雰囲気があってとても良い。ジャパニーズホラー的なじわじわ系とも異なり、クラシカルな趣がある。この緩急の付け方が絶妙だった。

 

どんでん返し感は少な目

過去の事件の真犯人、それはなんとこの人だった!という展開には正直サプライズ感があまりなかった。消去法でコイツしかいないじゃん、という人が順当に元凶なのである。

ただ、悪霊系かと思ったらまさかの悪魔系だったという意外性はあった。幽霊の話と思って視聴していたのに、いきなりサタンの話を持ち出された時は確かに驚いたし、「あぁ、そっちのジャンルのホラーなんだ」と少し恐怖が薄れた感があった。悪魔と言われると途端に認識がぼんやりしてしまうのは、日本人だから仕方がない。

 

ハッピーエンドに近い終わり方

最終的に主人公・エップス以外の仲間は全滅したが、サタンの手下・フェリマンの目論みは阻止し、船を沈めることに成功。それまで船に囚われていた魂が一斉に天へ昇っていくシーンは、幻想的で美しく、穏やかな解放感がある。霊体の少女・ケイティも安らかな微笑みを見せた。仲間の犠牲を無駄にせず救える魂は救ったということで、一応はハッピーエンドと言えるのではないだろうか。

この魂解放シーンは、冒頭のワイヤー切断と同じくらい印象的かつ劇中で最も美しい一場面だった。

 

賛否両論?まさかのオチ

船を沈め、フェリマンを撃退し、海を漂流中に救助されたエップス。一命を取り留めた彼女がふと目にしたのは、見たことのある木箱。金がぎっしり詰まった木箱は、爆破したはずの幽霊船にあったものだ。それを船に運び込んでいたのはなんとフェリマン。凍りつくエップス。流れ始める超絶元気なヘビメタ。黄金を餌にして愚かな人類を地獄へ送り込む、魂回収屋としてのフェリマンのお仕事はこれからも続く。NOOOO!!……おしまい。

オープニングはあんなに優雅な音楽だったのに、エンディングはヘビメタで騒ぎまくって終わる。こういうB級映画っぽさは決して嫌いではないが、B級映画っぽさでオチをつけるのかよ!と突っ込みたくなる気分だった。このラストについて、「驚きがあってよかった」「恐怖はこれからも続くっていうオチいいよね」という人ももちろんいるだろうが、私は単に雑な終わり方したなという印象だった。作品としてこだわりを感じる部分も少なくなかったからこそ、爆発オチ並のB級エンドが腑に落ちなかった。最後の「NOOOO!!」マジでいらない。笑

 

おわりに

個人的な過去のトラウマ映画のひとつである『ゴーストシップ』、勇気を出して攻略できて良かった。この調子でいけば、同じく過去のトラウマである『エクソシスト(ディレクターズカット版)』や『パンズラビリンス』も全編通して観られそうな気がする。

グロ耐性がつき始めてからの映画鑑賞は楽しい。大人になって感性が鈍ることは悲しいことかもしれないが、多少鈍らせた感性でこそ観られる映画というものもある。大人になって良かったと、本作を視聴して改めて思えた。

 

自業自得の超高層サバイバル『FALL』(2023)

『FALL』は、スコット・マン監督による映画作品。2023年公開。監督はイギリス出身だが、製作国はアメリカ(もしくはイギリス・アメリカ合作)と表記されている。

面白そうだけれど、いわゆるワンシチュエーション系の低予算B級映画っぽい雰囲気が強すぎて、公開当時は結局劇場まで観に行くことはなかった。

今回アマプラで視聴したのは、知り合いに「面白かったから観てみて」と勧められたからだ。この人とは度々好きな映画やドラマの話をしていて、以前私が勧めた『ストレンジャーシングス』にもハマってくれたので、彼女が良いと思ったならそれなりに面白いのかも、と観る気になった。

 

 

映画『FALL』とは

「シャザム!」のグレイス・フルトン(グレイス・キャロライン・カリー)とドラマ「マーベル ランナウェイズ」のバージニア・ガードナーが主演を務め、2022年版「スクリーム」のメイソン・グッディング、ドラマ「ウォーキング・デッド」シリーズのジェフリー・ディーン・モーガンが共演。「ファイナル・スコア」のスコット・マンが監督を務めた。

(映画.comより引用)

eiga.com

監督も俳優も、日本での知名度は正直あまりない。が、各配信サイトでの公開が始まると作品評価がぐいぐい上がり、特にNetflixでは大ヒットしているらしい。

世界的にも評価されており、制作費300万ドルに対し世界興行収入は2000万ドル以上。これを受けて本作は3部作となることが決定している。ゴリゴリの資本主義がもはや潔い。

 

主演のグレイス・キャロライン・カリーは4歳の頃から芸能活動を続けているベテラン俳優。バージニア・ガードナーはモデル活動やドラマ出演などで知られている。いずれも本作のヒットにより注目が集まり、業界でも話題となっているのだそう。

ちなみに、グレイス・キャロライン・カリー演じる主人公ベッキーの吹き替えは、『ウマ娘ビワハヤヒデ役の近藤唯バージニア・ガードナー演じるハンターの吹き替えは、アニメ『推しの子』有馬かな役の潘めぐみ。実写吹き替えとなるとアニメで演じる時とは全然声が違って、プロの声優ってすごいなぁと驚かされる。

 

あらすじ

岩山でのフリークライミング中に夫が滑落死。彼の死を間近で見た妻のベッキーは、一年経ってもその悲しみから立ち直れず、家族や友人を遠ざけ、酒に溺れる生活を送っていた。そんな時、かつてのクライミング仲間である親友ハンターが、新たな冒険の計画を持ち出す。その行き先は、地上600mの巨大なテレビ塔。夫の遺灰を撒いてすぐに帰るはずだったが、老朽化したハシゴが崩れ落ち、二人は塔の上の小さな足場に取り残されてしまうのだった。

 

***

あらすじだけ見るとシリアスな内容にも思えるが、登場人物全員おバカなので雰囲気的にはわりと明るくて軽いノリ。ちなみにアマプラのジャンルは「アクション/サスペンス/楽しい」となっている。楽しいはちょっと言い過ぎかもしれないけどまぁ大体そんなかんじである。

 

 

感想(ネタバレなし)

【重要】まだ見ていないならネタバレは回避して!

まず最初に警告しておきたいことだが、この物語にはある隠された仕掛けがある。初見でしか味わえない要素があるので、少しでも興味がある人は今すぐこのページを閉じて、各配信サイトで実際に視聴してほしい。

前評判だけ見ておこうかな~とSNSで感想を読み漁っているとしょうもないネタバレを食らうので絶対にやめた方がいい。

 

最高レベルのワンシチュエーション作品

限られたスペースでいかに作品に厚みを持たせるかのアイディア勝負になるのが、こういったワンシチュエーション系の作品。登場キャラクター数が少なく、場所の切り替わりもほぼないので、うまく作らなければ退屈な作品になってしまう。が、本作はストーリー展開とカメラワークで見事に演出がされ、退屈さを感じさせない工夫が常に施されていた。

CGのレベルも高く、高所を登るシーンは見ているだけで思わず汗が滲む。鉄塔のビジュアルはあまりにも高すぎて現実離れしている……かと思いきや、実際にカリフォルニアに存在する高さ625mの鉄塔がモデルとなっているのだから驚きだ。

 

共感ゼロでも手に汗握るサバイバル

「古い鉄塔に登ったらハシゴが壊れて降りられなくなっちゃった」というおバカな話を成立させるためには、必然的に登場人物たちのIQを下げなくてはならない。

主人公のベッキーはどちらかというと慎重派だけれど、周りにはスリルを求めて危険行為を繰り返すパリピしかいなくて、「一緒にやろうよ!やりなよ!」と言われたら断れずに何でもやってしまう。

親友のハンターは、胸を盛ってフォロワーを釣り、危険なチャレンジで再生数を稼ぐ、バズのためなら手段を選ばないタイプ。刺激がなければ生きられない根っからの冒険者気質で、根拠のないポジティブ思考で周囲を窮地に追いやっていく。ベッキーの夫・ダンも、崖から落ちそうになりながら「気分最高!」と発言するなど、大概おかしいやつである。

登場人物がこんなメンツなので、すべては「自業自得」の四文字で片づけられてしまうから、感情移入も共感もしない。けれども映像としてのハラハラドキドキ感はある。こいつらが死んでも悲しくはないけど、ここから一体どうなるの?という作品への興味は惹かれ続ける。このバランスが絶妙で素晴らしかった。

 

ゲームのようなアイテム収集と伏線回収

鉄塔の上の世界では、目に見えるものすべてが生存のためのアイテムだ。まるで脱出ゲームをプレイしているかのように、ひとつひとつのアイテムを適切なタイミングで使うことで、ゲームクリアへと近づけていく。得たものや知識を駆使して生存戦略を立てる流れが面白い。

そして、物語にメリハリをつけるためには、やっぱり伏線回収は必要。前半にちょっとした違和感や明かされない謎をちりばめて、後半にしっかりとその謎の答え合わせをする。何でもない日常会話の内容を、後からサバイバルテクニックとして適用する。「さっきのシーンってこういう意味だったんだ!」という驚きと気持ち良さがこまめに仕掛けられていることで、ダレることなく作品に集中できた。

 

倫理観は終わっている

現実ではやっちゃいけないことでも、映画の中なら表現できる。たとえば殺人とか、大きな宝石を盗むとか、線路の上を車で走行するとか。

でも、この作中で描かれているのはもっとリアルなことだ。カフェでの充電泥棒とか、動画撮りながらの不法侵入とか、生々しい動物の死骸を面白おかしくSNSに載せるとか。愚かなティーンエイジャーがやりがちなことを容赦なくぶっ込んでいる。

だからこそ鉄塔の上に取り残されても「ざまぁ」としか思わないので視聴者の気持ちが軽くなるというメリットはあるが、途中まで本当に終わってんなこいつら……という感想しかなかった。そんな突っ込みどころも含めて面白い作品ではある。

 

グロシーンはないがオシッコとゲロはある

作中のグロ描写はほとんどない。もちろんストーリーの都合上、死体および死骸の描写はあるのだが、グロを目的とした気持ち悪い場面はまったくと言っていいほど無い。性的なシーンも同じくほぼゼロ。ハンターは配信のためにめちゃくちゃ胸を盛っているので、胸が気になる視聴者はいるだろうが(ハンターのインスタフォロワーのように)、直接的な性描写は一切ないので安心して観られる。

その代わり用意されているのが、オシッコとゲロのシーン。血しぶきを浴びる描写も少しだけ。やっぱりこういうちょっと汚いシーンがあるとB級だな~と思わされる。

 

教訓めいたテーマは響かない

この作品の道徳的なテーマをざっくり言うと、「人生は儚いものだから、一瞬一瞬を大切に生きよう」ということ。

それ自体は間違いではないけれど、だからといってその一瞬一瞬をより濃い時間にするために自らを危険に晒す必要はない。「恐怖に打ち勝つ」という台詞もあったが、人間の強さは度胸試しで測るものではない。死の恐怖を体験しないと生を実感できないのはある意味異常な状態で、ベッキーはハンターの理論を「心に響いた」と言っているが、普通の人には共感できない。サバイバルとしては面白いが、ここから何か教訓を得られるものではなかった。

 

以上、ネタバレなしの感想。

これ以降はネタバレを含み、より詳細な部分の感想を記録するので注意願いたい。

 

 

※以下ネタバレ注意※

感想(ネタバレあり)

サバイバルスリラーにプラス要素増し作品

メインとなるのは鉄塔の上でのサバイバル。しかし話が進むにつれて他の要素も盛り込まれ、ストーリーに変化が現れる。

まず、序盤からいろいろと匂わせておいてからの「じつは裏切られていた」という胸糞展開。そして、ちらほら感じる違和感の正体を目の当たりにする「じつは途中から虚構の存在だった」というホラー展開。単に鉄塔から降りられなくなったことへの物理的恐怖だけでなく、サイコホラー的な要素も混ぜ込むことで、視聴者は新鮮な驚きと恐怖感を与えられる。サバイバル1本で終わらせないストーリーが、この作品の完成度をぐっと上げている。

 

やっぱり倫理観は終わっている

視聴後の満足感は確かにあった。だがそれはそれとして、第一印象はやはりこれだ。ストーリー上の都合とかフィクションであることを考慮しても、どう考えても倫理観が終わっているやつしかいない。

ベッキーとハンターが作中で取った行動を挙げていくと、

①飲酒運転(未遂)

②電気窃盗

スマホで撮影しながら運転

④不法侵入

SNS映えのための危険行為

⑥器物破損

⑦不倫

特殊なシチュエーションのサバイバルスリラーを描くためにはこんなに登場キャラをおバカにしないと成り立たないものなのか。害悪YouTuberの最たるもののような設定に思わず突っ込んでしまう。ここまで終わっているといっそ清々しいもので笑えてくるから不思議だ。

ちなみに衛生観念も終わっているので、空腹に耐えられなくなると鳥の生肉を食べ始める。現実的に考えるとお腹を壊して脱水になるおそれがあるので、普段食べられないものは緊急時でも食べない方がマシだと思う。

 

なぜか嫌いになれないキャラクターたち

上記のとおり、登場キャラクターはIQ激低の問題児ばかりなのだが、不思議とイライラせずに観られるのは映画としての作りが上手いからなのだろうか。

特にハンターは、言ってしまえばこのサバイバルの元凶となった存在なのだが、私はなぜか嫌いになれない。

無鉄砲で無責任、理由のないポジティブ思考、仲間を滑落死で失ってもなお自分たちは絶対に死なないと信じている愚かな女性。だが、不安がって弱音ばかり吐くベッキーに対し、ハンターは常に明るく励ましている。「あんたすごいよ!」「いい感じだよ!」と褒めて鼓舞し、トラブルが起きても冷静さを保とうと思考を続け、サバイバルのために危険な試みを率先して行う。

ハンターのせいで危険に巻き込まれたけれど、ハンターがいたからこそ絶望的なサバイバルに対して希望を見出すことができたのかもしれない。そしてハンターのおバカなキャラこそが本編をシリアスな空気にさせず、笑って見られるテンションにしていたとも言える。

 

ベッキーは常に不安定で過呼吸気味で(無理もないが)頼りない感じがしたが、吹っ切れてからは鳥の首をへし折ったり、ハンターの死体を完全に無機物として扱ったりと、とてもたくましくなった。自業自得ではあるものの、たった一人で極限のサバイバルを続けたベッキーのこともまた嫌いになれない。

でもダンは普通にクズ男なので無理だった。報復受けてほしいのに既に死んでいるから詰められもしなくて無理だった。

 

A級のB級映画

メリハリのあるストーリー、シリアスとコメディのほどよいバランス、ハイクオリティなCGでリアリティのある映像、女性二人による危なっかしすぎるサバイバルアクション、そしてシナリオの隠し要素。

とても完成度の高い作品だが、これを劇場で観るべきだったか?と考えると……そうとは言えない。家のリビングで時々突っ込みを入れつつ気楽に観るのがちょうどいい。

そう感じる要素のひとつが音響・音楽だ。この作品、印象的な音楽がメインテーマとチェリーパイの曲しかない。作中はメインテーマが何度も繰り返し流れるので、聞き慣れすぎて「またこの曲かよ」とだんだん笑えてくる。良くも悪くもシンプルなので、こちらの視聴スタイルもシンプルにした方がバランスが取れるのだ。

とはいえ面白い作品ではあるので、おうち映画としてはじゅうぶんおすすめできる。

 

おわりに

現実離れした鉄塔上のサバイバルでハラハラドキドキ、突っ込みどころも含めて楽しめる映画『FALL』。ここから第2部以降もサバイバルスリラー系で制作されるのだろうか。しばらくは注目のシリーズ作として話題になりそう。今後の監督作品にも期待したいと思える映画だった。

 

激重妻に嫉妬されて眠れない『禁じられた遊び』(2023)

禁じられた遊びは、中田秀夫監督のジャパニーズホラー映画。2023年公開。

(イメージ図)

 

『リング』『仄暗い水の底から』など数多くのホラー作品を手掛けてきた監督の作品だが、ネットでの評価は何とも微妙。

面白いのか、面白くないのか?アマプラで視聴してみた。

 

 

映画『禁じられた遊び』とは

「リング」スマホを落としただけなのに」シリーズの中田秀夫監督が橋本環奈と重岡大毅ジャニーズWEST)を主演に迎え、作家・清水カルマのデビュー作である同名ホラー小説を映画化。

「貞子」「青くて痛くて脆い」の杉原憲明が脚本を担当。堀田真由、倉悠貴、長谷川忍(シソンヌ)、猪塚健太、MEGUMI清水ミチコ新納慎也らが共演し、怨霊となった美雪をファーストサマーウイカが特殊メイクを施して演じている。

映画.comより引用)

 

第4回「本のサナギ賞」大賞を受賞した清水カルマの人気ホラー小説が実写映画化。

中田秀夫が描く、原点回帰の新ジャパニーズホラー誕生!

東映HPより引用)

 

映画『禁じられた遊び』は、同名のホラー小説が原作。刊行前の原題は『リジェネレイション 闇の底に蠢くもの』。

小説版が受賞した『本のサナギ賞』というのは、2014年から始まった公募の文学賞で、現役書店員さんたちが選ぶ小説の新人賞。『禁じられた遊び』は第4回(2018年)の大賞受賞作品だ。

ちなみにこの賞、第5回は新型コロナウイルス感染症拡大のため審査中止となっており、現在は受付終了となっている。もうこれ以降の更新はないのだろうか。

 

あらすじ

トカゲは尻尾が切れてもまた生えてくる。ならば、切れた尻尾からトカゲは生まれるのか?

子どもの素朴な疑問に、父・伊原直人は冗談で嘘を教える。「秘密の呪文を唱えれば、尻尾からもトカゲは生まれる」そんな他愛もない嘘を信じた息子・春翔は、やがて人間の身体の一部を使って死者の蘇生を試みるようになる。

一方、伊原直人の元同僚・倉沢比呂子はある時期怪奇現象に悩まされていたが、転職してからは何事もなく充実した日々を送っていた。が、伊原と再会した途端に怪奇現象が再発。そして伊原と共に恐ろしい怪異の誕生を目の当たりにするのだった。

 

***

本編は、妻子持ちの男性・伊原直人(重岡大毅ジャニーズWEST)と、彼の元同僚・倉沢比呂子(橋本環奈)のダブル主人公。伊原と比呂子の視点が交互に切り替わり、終盤は二人で怪異と対峙する。

 

感想(ネタバレなし)

楽しく観られるジャパニーズコメディホラー

この作品をつまらなかったと評価する人は、“怖い” ジャパニーズホラーを期待していて、「何だよ全然怖くないしおふざけばっかりじゃん!」とガッカリしたのではないか。もちろんその期待は妥当だ。普通、こういった映画に観客が求めるものは非日常的な恐怖とスリルなのだから。

しかしそもそもこの映画は純粋なホラー映画には分類できないと思う。ストーリー的にもキャスト的にも明らかにコメディに寄っているのだ。恐怖を表現する橋本環奈の顔芸を見てほっこりする映画なのだ。

重苦しくて陰鬱なホラーと違って、疲れた日の夜でもサクッと観られる。友達同士で突っ込みながらわいわい観るにもちょうどよく、ホラーが苦手な友達がいたとしても怖さレベル☆1なのでまったく問題ない。この作品はそれくらいの期待値ならそこそこ面白いと感じられる。

ところどころ雑なポイントはあるが伏線はきちんと回収される。ホラー的面白さは弱いものの、酷評されるほどの退屈さは感じなかった。

でも劇場まで行ってお金払って観た人たちは怒っていいよ。

 

全体的に意外性のないストーリー

「普通に考えたらこうだよな」という観客側の予想をほとんど裏切ってこないストーリー展開で、良くも悪くも分かりやすい内容。複雑な考察をせずとも楽しめるエンタメ色の強い作品だった。

逆に言うと、ちょっとあらすじを読むだけでおおよその話の展開が分かってしまうので、上記のあらすじにはほとんど何も書けなかった。

 

ホラーなのにキラキラ顔面

ジャパニーズホラーと聞いて思い浮かぶような、じめじめとした陰鬱さや悲壮感は、この作品ではあまり感じられない。それは主演の二人から放たれるキラキラアイドルオーラによるものが大きい。

ちょっと怖いシーンでも、一緒に映っているのが橋本環奈の可愛らしいお顔なので、ホラー感は相殺されて消える。雰囲気ぶち壊しといえばまぁそうなのだが、リアルなホラーだと気分が悪くなりそうな人にとってはちょうどいい安定剤。

また、サブの登場人物たちもアニメっぽいテンプレ系のキャラで、そもそも演じている人がバラエティ番組でよく見るような親しみやすい俳優・芸能人が多く、かなりコメディ寄りになっている。公式サイトの役者コメントでほとんどの俳優さんが「明るい現場だった」「良い空気感だった」と答えているが、その明るさや和気あいあいとした雰囲気はしっかり映像にも反映されているように感じた。

 

グロシーンは少しだけ

(※微ネタバレを含みます※)

ホラー映画を見る前に不安なことといえばこれ。気持ち悪い映像はあるか?自分がそのグロに耐えうるか?である。

結論から言うとグロシーンはほとんどない。グロのピークは首の切断シーンだが、切断の瞬間は映っておらず、次のシーンで人間の生首が転がっているくらいである。まぁまぁCG感が強めなのであまり怖くない。

ポスターに映っている怪異が出てくるシーンはグロいのかというと、そんなことはない。怪異がちょっと怪我したり吹き飛ばされたりはするが、リアルで生々しいグロシーンは基本的にないので安心してほしい。

 

 

※以下ネタバレ注意※

 

相関図

f:id:Amime-MK:20240531175930p:image

絵描くの面倒だったので文字だけの相関図で失礼します。

もし本作が伊原視点だったら、『アイドル級美少女の同僚にモテモテな俺、能力者のヤンデレ嫁に死ぬほど嫉妬されて修羅場です』みたいなタイトルになっていたかもしれない。

「嫁の愛が激重すぎて怖い。会社には笑顔が可愛い同僚女子がいて癒される」という直人。

「旦那さんとは恋愛関係になってないのに何故かものすごい殺意向けてくる奥さん怖すぎ」と言いながら、じつは彼から仄かな好意を向けられていた比呂子。

「夫の会社にいる女が夫に好意を寄せている。夫もちょっとその女のことが好きになっている。私には超能力でぜんぶわかる。許せない。生霊飛ばして絶対殺す」という美雪。

正直ろくな恋愛してるやつがいない。どいつもこいつもきしょい恋愛感覚。『禁じられた遊び』というホラーが始まる動機があまりにも昼ドラだった。

 

感想(ネタバレあり)

新たなホラーアイコンの誕生か

リングの貞子、呪怨加耶子のように、美雪という新しいホラーアイコンを作り出すという気合いを感じた。

美雪のキャラデザは女性らしい美しさに重点が置かれていて、ひとつの芸術作品のような印象。映画公式サイトにも素晴らしいビジュアルアートが多数載せられており、MIYUKIというキャラクターが愛をもって表現されていた。

幽霊や怪異というと、ドロドロの液体まみれの気持ち悪い見た目だったり、血でべとついた不潔な感じだったり、恐怖と共に不快感や嫌悪感と与えようとする傾向がある。対して本作の怪異は皮膚の表面にツタが這うような模様が浮かび上がり、美しい椿の花が描かれる。とてもクリーンだ。

ただ、それと引き換えに怖さはゼロ。ホラー映画には見た目の気持ち悪さがやはり必要なのだ。個人的に美雪というキャラクターは好きだが、怖さを楽しめたかどうかで言うと正直それはなかった。

 

ちなみに美雪のシーンで一番好きなのは、土から這い出てきた後、手近なところに斧が落ちているのを見つけて、ぱっと手にとって襲い掛かるシーン。家庭園芸用の小さな斧で威嚇するしょぼい感じが面白い。怪異だからといってべつに攻撃力が上がるわけではなく、普通に武器とか使うんだ……という親しみがあった。

 

ダブル主人公が両方とも嫌いなタイプだった

相関図の項目にも書いたが、主人公たちが普通に嫌いなタイプだった。

伊原直人は妻の束縛が怖すぎることを理由に、妻とは真逆の明るい同僚女子に癒しを求め出すというまぁまぁ気持ち悪いおじさんムーブをする。イケメンだから許されるというわけではない。

 

比呂子は可愛らしくも頼もしい性格だが、個人的には「夫(彼氏)の近くにいてほしくないサバサバ系美少女」という印象。

怪異となった美雪に攻撃しながら「私たちに構わないで!」と浮気相手の捨て台詞みたいな発言をしたり、伊原が美雪を抱きしめると「ダメです!」と二人を引き離したりする。ただでさえ嫉妬深い美雪に対して逆上させるような言動ばかりで、火に油を注ぎまくるのだ。

さらに、妻と息子を失う辛さを実質二度も経験し、最終的にメンブレしてしまった伊原には「そんなことをしても春翔くんは帰ってこない。しっかりしてください」と切り替えの早すぎる声かけをする。サバサバすぎて人の心ないんかと思う。

 

ところどころに見られる雑さ

まず登場人物のキャラ設定が全体的に雑(息子が古き良き時代のフィクション子どもすぎるとか、テンプレ通りのインチキ霊媒師とか)というのは置いておき、物語の流れを見ても処理が雑だな~と感じるところはいくつかあった。

死んだ美雪の指の先を、春翔が自宅に持ち帰ってきた冒頭のシーンがまずおかしい。事故の瞬間に吹き飛んだ母の指を咄嗟に持ってきたのだろうが、退院までの間に病院関係者が誰も気づかないのは無理がありすぎる。

伊原の現同僚である麻耶のスマホに、比呂子から電話がかかってくるシーンも相当に適当だ。比呂子が「伊原の住所を教えてほしい」と話し、麻耶は速攻OK。個人情報の取り扱いがガバガバすぎる。

細かい突っ込みにも思えるが、こういうちょっとした部分から作品のリアリティは崩れていくし、監督も脚本家も誰も変だと思わなかったんだな……という世間とのズレを感じて興ざめする。

 

怪異となった美雪に追いかけられるシーンも現実味がない。車で逃げようとするもエンジンがかからず、「ダメだ、行こう!」と車から降りて真っ暗な森の中へ入るのだが、たぶん私ならエンジンがかからなかったとしても車から出たくない。車にいられないとしたら、森ではなく街灯のある方へ逃げたい。

森の中、伊原と比呂子が逃げた先は古びた神社。普通なら怖すぎて絶対入りたくないお社の中で身を寄せ合いながら、「私が勝手に好きになったりしたから……」「いつの間にか俺はきみに惹かれていたんだ」などと告白大会が始まる。こいつらの精神状態は一体どうなっているんだと問いたい。この後、美雪がガチギレで殴り込んでくるが、こちらの心境としては早く美雪にこいつらをしばき倒してほしかった。

 

あとはわざわざ書くのもアレなのだが、CGが全部クソだった。べつにCGのクオリティに期待などしていないのだが、それにしてもクソCGだった。2023年の作品なのに。

 

ホラーならではの熱い場面も

私が本作で一番好きなのは、霊媒師・大門の付き人である黒崎のセルフ斬首シーン。悪霊に身体を乗っ取られそうになったところで、僅かに残った自我を精神力で保ちながら、己の人間性を守るために自害する。ゾンビ映画のような激熱シーンだった。

それ以外は特に好きなシーンはなかった。

 

泥棒猫

視聴した人がおそらく全員「ん?」と引っ掛かったであろう。比呂子に対する美雪の、「この泥棒猫が!」という台詞。決してコメディシーンではなく、この直後に実体を現した美雪が比呂子に襲いかかるという、序盤の怖い場面のひとつだ。

泥棒猫というワードに気をとられすぎて、その後の恐怖演出が何も入ってこなかった。調べたところ、原作にはこの台詞はないらしい。

 

掘り下げの余地はあるのに掘り下げない設定

本編残り15分のところで、美雪の家系に関する新情報が明かされる。彼女の亡き母親もまた超能力を持っており、その能力をもって新興宗教の教祖となっていた。美雪の家系の超能力は、親から子へと受け継がれるシステムなのだ。

いきなり出てきた “新興宗教” というワードはその後少しも掘り下げられることなく、約10分後にはもうエンドロールが流れている。

伊原と比呂子の両片想いエピソードよりも、美雪たちの暗い過去にフォーカスを当てた方がよほどホラーの雰囲気が出たのではないだろうか。美雪の母は信者に恨まれ自宅放火されて亡くなったという情報だけは知らされるが、そこに興味を持つ登場人物がいないのでこれ以上話は広がらない。新興宗教団体にいた、というたった一言で闇深い感じを演出して終わらせている。

 

超能力は継承される、ということで、じつはラスボスは美雪ではなく息子の春翔だった……という流れは良い伏線回収だったと思うし、普通に最後まで楽しめた。エンドロールで流れる、可愛らしい歌声とポップな曲調を聞きながら、まぁ掘り下げとか誰も求めてない映画だしいっか、と考えていた。

ちなみに主題歌タイトルは『えろいむ』。タイトル決めるのに2秒も考えてないでしょうね。

 

 

おわりに

ネットでは酷評の目立つ映画『禁じられた遊び』。ここまで色々書いたが、総評として気楽に見られるライトなホラーという意味ではそこそこ面白かった。

怖さレベルも話の難易度もすべてがライトで取っつきやすいし、橋本環奈をはじめとするキャストのおかげで退屈さも感じない。その代わり、怖かった~とか面白かった~という余韻は何も残らない。自宅のテレビでお菓子でも食べながらサクッと見て楽しむ映画だった。

 

美雪のファンアートです

美雪のビジュアル好きな人たくさんいると思うんだけどな。

作品評価が低いから必然的に認知されない不憫さ。もったいないキャラクターである。

 

結局全部一緒やないかいシリーズ完結作『牛首村』(2022)

『牛首村』は、清水崇監督が手掛ける『恐怖の村シリーズ』の第三作目となるホラー映画。2022年公開。

前作『犬鳴村』『樹海村』と合わせて三部作となっている。

(※イメージ図)

『犬鳴村』『樹海村』が面白かった人にとっては、本作もそう感じるだろう。なぜなら内容がほぼ同じだから

私は正直あまり面白くなかった側だが、せっかく頑張って三部作をコンプリートしたので感想・考察記事もコンプさせたいと、その執念だけで今この記事を書いている。

 

 

映画『牛首村』とは

牛首村は、富山に実在する心霊スポット『坪野鉱泉が舞台となっている。正確には坪野鉱泉にある廃墟『ホテル坪野』。

wikiによると、ホテルが廃墟となったのは経営難による閉鎖が理由だが、建物が放置されている間に暴走族の溜まり場になったり、心霊スポットとしての噂が広まったりと、色んな意味で治安の悪い場所になっているらしい。

映画内では、坪野鉱泉そのものが悪霊の巣窟として描かれているわけではない。その土地に昔あった残酷な風習が本作の呪いの発端であり、主人公たちと呪いを結びつける窓口的なポジションが坪野鉱泉なのだ。『犬鳴村』における犬鳴トンネル的存在である。

 

あらすじ

ウシノクビって知ってる? この話を聞くとみんな呪われて、いなくなるんだって。

恐布の村シリーズ第3弾、禁断の映画化! 九州を舞台にした『大鳴村』(2020)、富士の『樹海村』(2021)に続き、今回新たな恐怖が生まれるのは、北陸最恐の心霊スポット。

【平野鉱泉】など北陸地方出身者なら誰しもが知るスポットを舞台に、ホラー界の巨匠にして、これまでの村シリーズ全作を手掛ける清水崇監督が極限の恐怖で観客を追い詰める!

主演は、本作で映画初出演・初主演のKoki。不可解な出来事に巻き込まれる女子高生姉妹の一人二役を熱演する。さらに恐怖に対峙するのは萩原利久、高橋文哉ら若手実力派俳優たち。 世界中に恐怖の連鎖を生み続ける「村」シリーズ最新章が、今、幕を上げる…。

公式サイトより引用)

 

公式のあらすじには、ストーリーの情報はほとんどない。舞台となる心霊スポットの紹介と、監督および俳優の紹介のみ。

特に主演のKokiは大々的に宣伝されており、これまでの村シリーズはすべてKoki主演作品を作るための伏線だったのでは?とさえ思わされる。

 

唯一、公式あらすじの中で物語に関係があるのは最初の一文のみ。ウシノクビという怖い怪談があり、それを聞いた者は呪われるという。

この話の解釈は本編中にあった。聞いた人は呪われて死ぬ、ということは今いる人は誰も内容を知らない。つまりそんな話は存在しないってのがこの話のオチだ、と。

しかし本編で明かされる過去の恐ろしい儀式こそが、じつはウシノクビの話の全貌なのである。

 

もっと簡単なあらすじ

わたし、雨宮奏音(かのん)!東京に住む父子家庭の女子高生!

クラスメイトの蓮(れん)が、とある動画を見つけてきたの。私にそっくりな顔をした女の子が、配信者の派手な女の子たちに連れられて、心霊スポットで行方不明になっちゃう動画。何だか他人事とは思えなくて、動画に出てきた心霊スポットを目指して富山へ行くことにしたよ。

そしたらだんだん変な幽霊が見えてくるし、亡くなったって聞かされてたお母さんが普通に生きてたし、行方不明の女の子は私の双子の妹だとか言うし……もうわけわかんない!でもとにかく妹を見つけなきゃ!今どこにいるの?あの動画で何が起きたの?双子パワーで私が絶対助けるからね!

 

***

主人公の奏音にじつは双子の妹がいた、という事実は物語の途中で明かされるのだが、メタ的なことを言うと『初主演のKoki一人二役で姉妹を演じる』とガッツリ宣伝されているので、もはや視聴者にとっては前提知識。驚いているのは主人公だけである。

 

 

※以下ネタバレ注意※

 

相関図

主な登場人物は上記イラスト内のキャラのみ。『犬鳴村』に比べるとかなりシンプルな構図。

ヒッチハイクに応じてくれたおじさんとかもいるが、ド派手に死ぬ役目なだけで物語には関係ないため省略した)

中でも重要人物は、奏音のおばあちゃんである妙子。普段は寝たきりで弱々しいが、一度スイッチが入ると不思議なパワーで相手をタイムスリップさせる特殊能力を持っている。

 

感想

恐怖の村シリーズおなじみの展開しかなかった

アッキーナ(役名・俳優固定、必ず序盤で死ぬ)による配信動画から始まり、過去から続く呪いの起源を主人公が追っていく。タイムスリップで仲間を助けて一件落着かと思いきや、エンドロール後に「じつはまだ呪いは続いている……」という恐怖の余韻を残す演出。

『犬鳴村』『樹海村』そして本作『牛首村』、三部作となる村シリーズはすべて上記のパターンで構成されていた。

お約束展開、おなじみパターンと言うにはあまりにも面白くない。単なるコピペとしか感じられなかった。

内容に差異がなく退屈な本編の中で、シリーズ作品としての繋がり要素(毎回出てくるアッキーナ、犬鳴村の遼太郎くん等)を入れてこられても、そんなお遊び要素考える前にもっと中身を面白くしなよ!!!としか思えない。毎回毎回当たり前みたいにタイムスリップしやがって

 

村シリーズはポスターデザインにも一貫性があり、遠目で見ると全体の風景が人の顔のように見えて不気味……という共通要素がある。

毎回ポスターのビジュアルはかなり良いのだが、そこのクオリティを上げる余裕があったらもっと本編に力を入れてほしい。

 

Kokiの演技は良かった

公式から推されまくっていたKoki、推されすぎて逆に不安だったが、結果良かった。

樹海村ほどの退屈さを本作で感じなかったのは、Kokiの演技、そして顔面と髪の美しさによるところが意外と大きいのではと思う。顔かわいー、髪さらさらー、と思っているうちに本編が終わった。

良い意味で素人感の少ない落ち着いた雰囲気もとても良かった。気の強い姉の奏音と、純朴で清楚な妹の詩音、一人二役の演じ分けも良かった。

ちなみに、詩音の彼氏役の俳優も髪さらさらでめっちゃきれいだった。

 

恐怖演出はシリーズ中で一番好み

たとえばふとした時に映り込んで、でもよく見ると消えてしまう。油断している一瞬のシーンに異物が紛れ込んでいる。そんな霊の映り込ませ方は、村シリーズ中では本作が一番と言えるだろう。特に序盤のシーンはさり気なくも不気味な霊が多く、見どころがたくさんある。

がっつり霊が映るところで印象的なのは、妹の詩音だと思って話しかけた相手が全然知らない霊だったシーン。身内かと油断していたら普通に知らない人が絡んできたという別ベクトルの恐怖を突然味わわせてくれる。

また、今回は恐怖演出にAI音声のSiriが加わっている。呪いの気配が近づくと勝手に起動し、“依代(よりしろ)” の言葉の解説を勝手に始める。不穏なシーンに突然響く無機質なSiriの声は、なかなか良いインパクトを与えてくれる。現代ホラーらしいアイディアで面白かった。

 

エキストラにガチの双子を起用するこだわり

全編通して一番驚いたのが、エンドロールで紹介されたエキストラの方々。

作中、過去に双子として生まれて村の因習に巻き込まれた人々が恨みを込めて登場するシーンがあるのだが、そこは一人の人物を二人に見えるように映像加工しているのだと思っていた。

しかし、エンドロールでずらりと並べられたのは、明らかに双子と思われるペアの名前一覧。

えっ……あのシーン、映像上でコピペしたんじゃなくて、リアル双子の方々に実際に来てもらって撮影していたの!?と、そのこだわりように驚かされた。あれだけの数の双子が集まったことにも驚いた。

 

結論、いつもの村シリーズ

村シリーズで一番新しく制作されたこともあってか、シリーズでは最も見やすい作品だった。

『犬鳴村』のように関連人物が多めでわかりにくいこともなく、『樹海村』のようにホラーのモチーフがごちゃつくこともなく、キャラクターの個性もあって映画として一番まとまっていた。

が、物語の大筋は三部作すべて同じだし、展開もオチも同じなので、結果的に受ける印象もほぼ同じになる。結局前作と同じパターンだったと言うしかなく、新しい感想を抱きにくい。

『牛首村』単体で面白いと感じる部分もあるからこそ、三部作のひとつとして消費されるにはもったいない作品だと感じた。

 

 

※以降激しいネタバレ注意※

 

映画を最後まで見終わっても、わからないところや納得できないところ……そんな点をQ&A方式で考察してみる。

 

自問自答Q&A

Q. 牛首村の呪いって結局何だったの?

A. 双子の片割れを神のもとに返すという名目で深い穴に落とし、口減らしをする風習があった牛首村。今もどこかに渦巻く、葬られた双子の怨念こそが村の呪いである。バスの中で蓮を襲った大量の霊は、村の因習の犠牲となった双子たちだった。

ただ今回、奏音と詩音を襲ったのは「村の呪い」という抽象的なものではなく、奇子(あやこ)という特定の個人。穴に落とされても死ぬことができず、助けを求めても怖がられて攻撃され、恨みレベルMAXになった奇子の怨霊による犯行である。

 

Q. 奇子はどうして奏音や詩音を襲ったの?

A. 幼かった頃の奏音を連れ去ろうとしたり、詩音に乗り移ろうとしたり、何かと双子に執着する奇子。なぜかといえば、「ひとりぼっちは寂しいから」である。双子であれば片方は自分と同じように穴に落とされる。自分のもとに来てくれる。そう思って双子のどちらかを引きずり込もうとしていたのかもしれない。

 

Q. 奇子はどうして自身の双子である妙子を襲わないの?

A. 妙子の夫であるおじいちゃんいわく、若い頃に駆け落ちのような形で妙子と一緒に村を出たということなので、物理的に村から遠ざかったために呪いを回避したと思われる。

しかし年をとって元の土地に戻ってきた時、奇子の呪いを受けた可能性はないだろうか。うわ言のように村のわらべ歌を口ずさんだり、奏音や詩音の気配に敏感だったり、寝たきりで力もないのに牛首の石を手にした途端にものすごい力を発揮したりと、スピリチュアルな言動が見られる妙子。これが元来の霊感の強さから来るものか、認知面の低下とともに顕在化してきた不思議パワーなのかは分からないが、ひょっとすると綾子の呪いを受けて精神異常の状態になっているのかもしれない。

 

Q. 牛首村ってどこにあるの?

A. この映画、色々な場所の設定および位置関係がよく分からない。牛首村という場所が、犬鳴村のように現在は地図上から無くなった過去の村なのか、樹海村のように都市伝説化された場所なのか、それとも今も実在している村なのか、明確に説明されるシーンは特に無かったと記憶している。

奏音の実家=詩音が現在も住んでいる場所には牛首地蔵があるため、奏音たちの地元が牛首村の位置と同じであることは推察できる。

 

Q. 奏音と詩音以外、坪野鉱泉に行った人たちはみんな死んだけど、坪野鉱泉に呪われたってこと?牛首村は関係あるの?

A. 死ぬ直前、ガラスや鏡に映る自分の顔に牛の頭が被さっているように見えることから、牛首村の呪いであることは間違いない。

坪野鉱泉と牛首村は次元が繋がる特殊な関係性なので、坪野鉱泉に行くと牛首村の呪いを受けてしまうのだろう。まぁでも単純に、心霊スポットで騒ぎながら配信したり、立ちしょんしたり、タバコ吸ったりしたことで霊の怒りを買っただけかもしれない。

ちなみに、なぜ坪野鉱泉と牛首村が繋がっているのか、その理由はよく分からない。実在の心霊スポットである坪野鉱泉をどうにかして本編と絡ませたかった、ロケ地に使いたかった、という大人の事情しか思い浮かばない。

 

Q. 最後、詩音の顔が奇子にすり替わっていたのはどういう意味?

A. 恐怖の村シリーズお決まりのオチ、「呪いは解決したかと思いきや実はまだ続いている」という後味悪い演出である。Siriが繰り返し発言していた “依代(よりしろ)” の言葉どおり、奇子は詩音を依代として生き続けることに成功した。彼女の怨念による犠牲は今後も続くのか、その真の結末は誰にも分からない。まぁでもひとりぼっちは寂しいので、ひとりじゃなくなって良かったですね奇子さん。

 

Q. インターネットでネタバレ解説を見ると、映画から読み取れる以上の情報量の解説がされている気がするんだけど?

A. 牛首村には小説版もあるので、もしかすると小説の方により詳細な設定があるのかもしれない。

ラストは詩音が結婚して、でも奏音は蓮を亡くしているから詩音の幸せが許せなくて呪いパワーが生まれてしまって……みたいな、そんな展開あの短いラストシーンだけで分かる?私は分からなかった。

 

おわりに

『犬鳴村』『樹海村』、そして『牛首村』と揃って、恐怖の村シリーズ三部作を無事完走。この中では、本作『牛首村』が最も見やすくて分かりやすい内容だったと思う。

ただ、このシリーズ自体が私個人の好みかどうかで言うと正直全然ハマらなかった。ミステリー要素もホラー演出もそれなりで、お化けサイド・人間サイド共に光るキャラクター性はなく(一番輝いていたのはファーストペンギン枠のアッキーナ)、考察し始めると設定の矛盾点が気になって捗らない。

でも海外製のスプラッタばりばりで最終的になんかモンスターが出てくるみたいな作品よりも、日本的な不気味さと後味の悪さが好みだという人にとっては面白いと感じる部分もあるシリーズだと思う。中身はともかく、気になっていたホラーシリーズをひとつ見終えたという達成感は味わった。

 

清水崇監督の作品、次は何を見ようかな。『こどもつかい』、『忌怪島』、『ミンナのウタ』……どれも評判的には微妙だけど、次々に新作を出してくる姿勢は評価されるべき。いや、評価はされてるか。じゅうぶん。