あみめの映画ぶろぐ

ポップコーンはキャラメルかバター醤油

結局全部一緒やないかいシリーズ完結作『牛首村』(2022)

『牛首村』は、清水崇監督が手掛ける『恐怖の村シリーズ』の第三作目となるホラー映画。2022年公開。

前作『犬鳴村』『樹海村』と合わせて三部作となっている。

(※イメージ図)

『犬鳴村』『樹海村』が面白かった人にとっては、本作もそう感じるだろう。なぜなら内容がほぼ同じだから

私は正直あまり面白くなかった側だが、せっかく頑張って三部作をコンプリートしたので感想・考察記事もコンプさせたいと、その執念だけで今この記事を書いている。

 

 

映画『牛首村』とは

牛首村は、富山に実在する心霊スポット『坪野鉱泉が舞台となっている。正確には坪野鉱泉にある廃墟『ホテル坪野』。

wikiによると、ホテルが廃墟となったのは経営難による閉鎖が理由だが、建物が放置されている間に暴走族の溜まり場になったり、心霊スポットとしての噂が広まったりと、色んな意味で治安の悪い場所になっているらしい。

映画内では、坪野鉱泉そのものが悪霊の巣窟として描かれているわけではない。その土地に昔あった残酷な風習が本作の呪いの発端であり、主人公たちと呪いを結びつける窓口的なポジションが坪野鉱泉なのだ。『犬鳴村』における犬鳴トンネル的存在である。

 

あらすじ

ウシノクビって知ってる? この話を聞くとみんな呪われて、いなくなるんだって。

恐布の村シリーズ第3弾、禁断の映画化! 九州を舞台にした『大鳴村』(2020)、富士の『樹海村』(2021)に続き、今回新たな恐怖が生まれるのは、北陸最恐の心霊スポット。

【平野鉱泉】など北陸地方出身者なら誰しもが知るスポットを舞台に、ホラー界の巨匠にして、これまでの村シリーズ全作を手掛ける清水崇監督が極限の恐怖で観客を追い詰める!

主演は、本作で映画初出演・初主演のKoki。不可解な出来事に巻き込まれる女子高生姉妹の一人二役を熱演する。さらに恐怖に対峙するのは萩原利久、高橋文哉ら若手実力派俳優たち。 世界中に恐怖の連鎖を生み続ける「村」シリーズ最新章が、今、幕を上げる…。

公式サイトより引用)

 

公式のあらすじには、ストーリーの情報はほとんどない。舞台となる心霊スポットの紹介と、監督および俳優の紹介のみ。

特に主演のKokiは大々的に宣伝されており、これまでの村シリーズはすべてKoki主演作品を作るための伏線だったのでは?とさえ思わされる。

 

唯一、公式あらすじの中で物語に関係があるのは最初の一文のみ。ウシノクビという怖い怪談があり、それを聞いた者は呪われるという。

この話の解釈は本編中にあった。聞いた人は呪われて死ぬ、ということは今いる人は誰も内容を知らない。つまりそんな話は存在しないってのがこの話のオチだ、と。

しかし本編で明かされる過去の恐ろしい儀式こそが、じつはウシノクビの話の全貌なのである。

 

もっと簡単なあらすじ

わたし、雨宮奏音(かのん)!東京に住む父子家庭の女子高生!

クラスメイトの蓮(れん)が、とある動画を見つけてきたの。私にそっくりな顔をした女の子が、配信者の派手な女の子たちに連れられて、心霊スポットで行方不明になっちゃう動画。何だか他人事とは思えなくて、動画に出てきた心霊スポットを目指して富山へ行くことにしたよ。

そしたらだんだん変な幽霊が見えてくるし、亡くなったって聞かされてたお母さんが普通に生きてたし、行方不明の女の子は私の双子の妹だとか言うし……もうわけわかんない!でもとにかく妹を見つけなきゃ!今どこにいるの?あの動画で何が起きたの?双子パワーで私が絶対助けるからね!

 

***

主人公の奏音にじつは双子の妹がいた、という事実は物語の途中で明かされるのだが、メタ的なことを言うと『初主演のKoki一人二役で姉妹を演じる』とガッツリ宣伝されているので、もはや視聴者にとっては前提知識。驚いているのは主人公だけである。

 

 

※以下ネタバレ注意※

 

相関図

主な登場人物は上記イラスト内のキャラのみ。『犬鳴村』に比べるとかなりシンプルな構図。

ヒッチハイクに応じてくれたおじさんとかもいるが、ド派手に死ぬ役目なだけで物語には関係ないため省略した)

中でも重要人物は、奏音のおばあちゃんである妙子。普段は寝たきりで弱々しいが、一度スイッチが入ると不思議なパワーで相手をタイムスリップさせる特殊能力を持っている。

 

感想

恐怖の村シリーズおなじみの展開しかなかった

アッキーナ(役名・俳優固定、必ず序盤で死ぬ)による配信動画から始まり、過去から続く呪いの起源を主人公が追っていく。タイムスリップで仲間を助けて一件落着かと思いきや、エンドロール後に「じつはまだ呪いは続いている……」という恐怖の余韻を残す演出。

『犬鳴村』『樹海村』そして本作『牛首村』、三部作となる村シリーズはすべて上記のパターンで構成されていた。

お約束展開、おなじみパターンと言うにはあまりにも面白くない。単なるコピペとしか感じられなかった。

内容に差異がなく退屈な本編の中で、シリーズ作品としての繋がり要素(毎回出てくるアッキーナ、犬鳴村の遼太郎くん等)を入れてこられても、そんなお遊び要素考える前にもっと中身を面白くしなよ!!!としか思えない。毎回毎回当たり前みたいにタイムスリップしやがって

 

村シリーズはポスターデザインにも一貫性があり、遠目で見ると全体の風景が人の顔のように見えて不気味……という共通要素がある。

毎回ポスターのビジュアルはかなり良いのだが、そこのクオリティを上げる余裕があったらもっと本編に力を入れてほしい。

 

Kokiの演技は良かった

公式から推されまくっていたKoki、推されすぎて逆に不安だったが、結果良かった。

樹海村ほどの退屈さを本作で感じなかったのは、Kokiの演技、そして顔面と髪の美しさによるところが意外と大きいのではと思う。顔かわいー、髪さらさらー、と思っているうちに本編が終わった。

良い意味で素人感の少ない落ち着いた雰囲気もとても良かった。気の強い姉の奏音と、純朴で清楚な妹の詩音、一人二役の演じ分けも良かった。

ちなみに、詩音の彼氏役の俳優も髪さらさらでめっちゃきれいだった。

 

恐怖演出はシリーズ中で一番好み

たとえばふとした時に映り込んで、でもよく見ると消えてしまう。油断している一瞬のシーンに異物が紛れ込んでいる。そんな霊の映り込ませ方は、村シリーズ中では本作が一番と言えるだろう。特に序盤のシーンはさり気なくも不気味な霊が多く、見どころがたくさんある。

がっつり霊が映るところで印象的なのは、妹の詩音だと思って話しかけた相手が全然知らない霊だったシーン。身内かと油断していたら普通に知らない人が絡んできたという別ベクトルの恐怖を突然味わわせてくれる。

また、今回は恐怖演出にAI音声のSiriが加わっている。呪いの気配が近づくと勝手に起動し、“依代(よりしろ)” の言葉の解説を勝手に始める。不穏なシーンに突然響く無機質なSiriの声は、なかなか良いインパクトを与えてくれる。現代ホラーらしいアイディアで面白かった。

 

エキストラにガチの双子を起用するこだわり

全編通して一番驚いたのが、エンドロールで紹介されたエキストラの方々。

作中、過去に双子として生まれて村の因習に巻き込まれた人々が恨みを込めて登場するシーンがあるのだが、そこは一人の人物を二人に見えるように映像加工しているのだと思っていた。

しかし、エンドロールでずらりと並べられたのは、明らかに双子と思われるペアの名前一覧。

えっ……あのシーン、映像上でコピペしたんじゃなくて、リアル双子の方々に実際に来てもらって撮影していたの!?と、そのこだわりように驚かされた。あれだけの数の双子が集まったことにも驚いた。

 

結論、いつもの村シリーズ

村シリーズで一番新しく制作されたこともあってか、シリーズでは最も見やすい作品だった。

『犬鳴村』のように関連人物が多めでわかりにくいこともなく、『樹海村』のようにホラーのモチーフがごちゃつくこともなく、キャラクターの個性もあって映画として一番まとまっていた。

が、物語の大筋は三部作すべて同じだし、展開もオチも同じなので、結果的に受ける印象もほぼ同じになる。結局前作と同じパターンだったと言うしかなく、新しい感想を抱きにくい。

『牛首村』単体で面白いと感じる部分もあるからこそ、三部作のひとつとして消費されるにはもったいない作品だと感じた。

 

 

※以降激しいネタバレ注意※

 

映画を最後まで見終わっても、わからないところや納得できないところ……そんな点をQ&A方式で考察してみる。

 

自問自答Q&A

Q. 牛首村の呪いって結局何だったの?

A. 双子の片割れを神のもとに返すという名目で深い穴に落とし、口減らしをする風習があった牛首村。今もどこかに渦巻く、葬られた双子の怨念こそが村の呪いである。バスの中で蓮を襲った大量の霊は、村の因習の犠牲となった双子たちだった。

ただ今回、奏音と詩音を襲ったのは「村の呪い」という抽象的なものではなく、奇子(あやこ)という特定の個人。穴に落とされても死ぬことができず、助けを求めても怖がられて攻撃され、恨みレベルMAXになった奇子の怨霊による犯行である。

 

Q. 奇子はどうして奏音や詩音を襲ったの?

A. 幼かった頃の奏音を連れ去ろうとしたり、詩音に乗り移ろうとしたり、何かと双子に執着する奇子。なぜかといえば、「ひとりぼっちは寂しいから」である。双子であれば片方は自分と同じように穴に落とされる。自分のもとに来てくれる。そう思って双子のどちらかを引きずり込もうとしていたのかもしれない。

 

Q. 奇子はどうして自身の双子である妙子を襲わないの?

A. 妙子の夫であるおじいちゃんいわく、若い頃に駆け落ちのような形で妙子と一緒に村を出たということなので、物理的に村から遠ざかったために呪いを回避したと思われる。

しかし年をとって元の土地に戻ってきた時、奇子の呪いを受けた可能性はないだろうか。うわ言のように村のわらべ歌を口ずさんだり、奏音や詩音の気配に敏感だったり、寝たきりで力もないのに牛首の石を手にした途端にものすごい力を発揮したりと、スピリチュアルな言動が見られる妙子。これが元来の霊感の強さから来るものか、認知面の低下とともに顕在化してきた不思議パワーなのかは分からないが、ひょっとすると綾子の呪いを受けて精神異常の状態になっているのかもしれない。

 

Q. 牛首村ってどこにあるの?

A. この映画、色々な場所の設定および位置関係がよく分からない。牛首村という場所が、犬鳴村のように現在は地図上から無くなった過去の村なのか、樹海村のように都市伝説化された場所なのか、それとも今も実在している村なのか、明確に説明されるシーンは特に無かったと記憶している。

奏音の実家=詩音が現在も住んでいる場所には牛首地蔵があるため、奏音たちの地元が牛首村の位置と同じであることは推察できる。

 

Q. 奏音と詩音以外、坪野鉱泉に行った人たちはみんな死んだけど、坪野鉱泉に呪われたってこと?牛首村は関係あるの?

A. 死ぬ直前、ガラスや鏡に映る自分の顔に牛の頭が被さっているように見えることから、牛首村の呪いであることは間違いない。

坪野鉱泉と牛首村は次元が繋がる特殊な関係性なので、坪野鉱泉に行くと牛首村の呪いを受けてしまうのだろう。まぁでも単純に、心霊スポットで騒ぎながら配信したり、立ちしょんしたり、タバコ吸ったりしたことで霊の怒りを買っただけかもしれない。

ちなみに、なぜ坪野鉱泉と牛首村が繋がっているのか、その理由はよく分からない。実在の心霊スポットである坪野鉱泉をどうにかして本編と絡ませたかった、ロケ地に使いたかった、という大人の事情しか思い浮かばない。

 

Q. 最後、詩音の顔が奇子にすり替わっていたのはどういう意味?

A. 恐怖の村シリーズお決まりのオチ、「呪いは解決したかと思いきや実はまだ続いている」という後味悪い演出である。Siriが繰り返し発言していた “依代(よりしろ)” の言葉どおり、奇子は詩音を依代として生き続けることに成功した。彼女の怨念による犠牲は今後も続くのか、その真の結末は誰にも分からない。まぁでもひとりぼっちは寂しいので、ひとりじゃなくなって良かったですね奇子さん。

 

Q. インターネットでネタバレ解説を見ると、映画から読み取れる以上の情報量の解説がされている気がするんだけど?

A. 牛首村には小説版もあるので、もしかすると小説の方により詳細な設定があるのかもしれない。

ラストは詩音が結婚して、でも奏音は蓮を亡くしているから詩音の幸せが許せなくて呪いパワーが生まれてしまって……みたいな、そんな展開あの短いラストシーンだけで分かる?私は分からなかった。

 

おわりに

『犬鳴村』『樹海村』、そして『牛首村』と揃って、恐怖の村シリーズ三部作を無事完走。この中では、本作『牛首村』が最も見やすくて分かりやすい内容だったと思う。

ただ、このシリーズ自体が私個人の好みかどうかで言うと正直全然ハマらなかった。ミステリー要素もホラー演出もそれなりで、お化けサイド・人間サイド共に光るキャラクター性はなく(一番輝いていたのはファーストペンギン枠のアッキーナ)、考察し始めると設定の矛盾点が気になって捗らない。

でも海外製のスプラッタばりばりで最終的になんかモンスターが出てくるみたいな作品よりも、日本的な不気味さと後味の悪さが好みだという人にとっては面白いと感じる部分もあるシリーズだと思う。中身はともかく、気になっていたホラーシリーズをひとつ見終えたという達成感は味わった。

 

清水崇監督の作品、次は何を見ようかな。『こどもつかい』、『忌怪島』、『ミンナのウタ』……どれも評判的には微妙だけど、次々に新作を出してくる姿勢は評価されるべき。いや、評価はされてるか。じゅうぶん。

 

ほぼコトリバコが主役だった映画『樹海村』(2021)

『樹海村』は、清水崇監督が手掛けるホラーシリーズ『恐怖の村シリーズ』の第ニ作目。2021年公開。

前作『犬鳴村』から約一年後に公開されたホラー映画である。

(※イメージ図)

 

『犬鳴村』がわりと地味な内容だったので、次作のこれもそんなもんかな、と思いつつハードル下げ目で鑑賞。結果、クソほどハマらなかった

ハマらなかったけれども感想と考察はしっかり記録していく。

 

 

映画『樹海村』とは

「自殺の名所」「磁場の影響でコンパスやGPSが狂う」「入ったら二度と出られない」といった怖いイメージのある富士の樹海。映画では、この樹海のどこかに呪われた村がある……という都市伝説が存在する。

調べてみると、実際の樹海にも『精進集落』と呼ばれる場所がある。が、劇中のような呪いの村ではないらしい。グーグルマップでは『精進湖民宿村』と表示され、富士五湖を目当てに訪れる人たちがよく宿泊するのだそう。富士山の間近だし、絶景であることは間違いない。

 

そしてなんと本作には、洒落怖でおなじみの特級呪物『コトリバコ』が登場する。

効果としてはネット上で見られるコトリバコの話と同じで、箱が置かれた家を呪うといった内容だが、箱が作られたエピソードに樹海村が関係しているというアレンジが加えられている。

 

あらすじ

「お姉ちゃん知ってる?この箱が置かれた家はね、みんな死んで家系が途絶えるの…」。

人々を戦慄させる禍々しい古くから伝わる強力な呪いを、歪な木々や地を這う根が生える、不気味で壮大な樹海の奥深くに封印した。

――13年後。姉妹の響と鳴の前に、あれが出現。

そして、樹海で行方不明者が続出する。

自ら向かったのか?それとも魔の力に吸い寄せられているのか?

恐怖が、いま再び解き放たれる。

公式サイトから引用)

 

分かるようで分からない、ネタバレに配慮した絶妙な公式イントロダクション。

キーワードは「13年後」。つまり13年前にあることが起きて、そこから時を経て今回コトリバコが主人公姉妹の前に出現した。13年前に何があったのか、箱の呪いとは何なのか……といった謎を追っていく話。

これだけ聞くと樹海関係なくない?と思うが、前述のとおり箱が作られた経緯に樹海村が関係してくるので、最終的には主人公たちも樹海を訪れることになる。

 

もっと簡単なあらすじ

わたし、天沢鳴!幼馴染2人が結婚したので引っ越しの手伝いに行ったら、新居の下に変な箱が置いてあったの。調べてみたら、コトリバコっていう呪いの箱みたい。まさかと思ったけど、その日を境に周りの人が次々に亡くなったり、樹海で失踪したり……もしかして本当に呪いのせい?

妹の響は昔からオカルト趣味で霊感アピールしてるけど、箱が出現してからはもっと様子がおかしくて。コトリバコっていったい何なの?どうして私たちの前に現れたの?この呪いからは逃れられないの……!?

 

***

鳴と響の姉妹が主人公という設定ではあるが、ストーリーの主軸となっているのは姉の鳴。妹の響は引きこもりの霊感気質で、口数少なく突飛な言動が目立つ。そんな妹の様子を、ただ構ってほしくて気を引こうとしているだけだと少し疎ましく思っている鳴。

そんな姉妹が、コトリバコと樹海村の恐怖に直面し、13年前の隠された真実を知る、というのが樹海村の物語である。

 

※以下ネタバレ注意※

 

 

相関図

図には記載したが、鳴と照が元恋人というのははっきりと言葉で表されたわけではない。

引っ越し作業中、照が結婚指輪の話をした流れで、持っていたタバコとライターを「返すよ」と鳴に渡した。このシーンは、以前もらったアイテムを相手に返す=関係性に終止符を打つ、という意味合いだろう。そして、今後父になるにあたり喫煙はやめる、という覚悟の表れでもある。

鳴はというと、未だに照との写真を部屋に飾っていることから、うっすら照に未練がありそうな雰囲気。というか照も照で、結婚指輪に対して「思いがこもってるっつーか、もう逃げらんねーな」と、新婚のはずなのに微妙な話し方をする。そして二人が仲良く引っ越し作業をしている様子を、妊娠中の美優が新居の窓から黙って見ているのである。

なんだこのドロッとした気持ち悪い関係性。しかも、鳴は未練をちらつかせながらも、現在は真二郎と付き合っている。なんだこの(以下略)

 

しかも驚くべきことに、このドロドロ四角関係は本編の展開とは何も関係がない。何の伏線にもならない。だから、鳴に未練があるとかないとか、そんなことは考察の対象にならない。

ただひとつ、ライターがちょっとしたキーアイテムにはなっているが、別にどうってことない要素である。

 

感想

樹海村っていうかコトリバコだった

なぜこの映画のタイトルは『樹海村』なのか。それは本作が『恐怖の村シリーズ』のひとつで、〇〇村タイトル縛りルールで制作されたからである。たぶんそれ以外に理由はない。

ではなぜコトリバコの話を混ぜたのか。それは前作『犬鳴村』と同じで、既にネットの都市伝説として広く知られた題材が登場した方が視聴者の興味を引くからである。

樹海×コトリバコで闇の相乗効果が得られれば良かったのだが、樹海と箱の二つの要素がごちゃごちゃになっているだけに感じた。むしろどちらかと言うとコトリバコのインパクトの方が強くて、タイトルがミスマッチに思われる。

 

シーンの繋ぎ方の雑さが気になる

樹海の話とコトリバコの話が交互に来るので分かりにくい上、その切り替わりが唐突すぎる部分もあった。

一番気になったのは、夜の寺~昼間の樹海~響が自宅で就寝する夜、の一連のシーン。それぞれの場面を切り抜き動画みたいにザクザク繋ぎ合わせているようにしか見えない。寺で寝泊まりした夜、幽霊まみれで怖い思いをした響が、直後のシーンでは何食わぬ顔で登山装備を整えて樹海オフ会に参加している。そして樹海でパニックになり、皆を置いて一人で森を走り去る。次のシーンでは自室で寝ている。時系列もよく分からない。

 

前作よりもグロ多め、印象的なホラーシーンも

物語の分かりにくさゆえに気が散ってしまい退屈すら感じていたが、印象に残るシーンもある。

たとえば、死産したはずの美優が赤ちゃんをあやすように何かを抱っこして、ふと我に返り腕の中を見ると、赤ちゃんではなくコトリバコを抱いていたシーン。ホラーでよくある、友達の手を握っていると思ったら幽霊の手を握っていた、という展開に近い王道的な恐怖演出だ。

他にも、普通に料理しているつもりが、気づかぬうちに包丁で自身の指を切り落とそうとしており、慌てて止血するシーン。無意識のうちに狂気に取り憑かれる怖さがあった。グロが苦手な人にはちょっとキツいかもしれない。

本作のホラーシーンは、前作『犬鳴村』と比べると直接的な傷や血の描写が多く、ややグロい場面もあるのが特徴と言える。

 

最後はダークファンタジー展開

いよいよ姉妹が樹海へと引きずり込まれる終盤、これまでのちょっとグロめなホラーシーンとは打って変わって、霊たちが文字通り森と一体化させようと襲いかかってくる。

海外ホラー風味というか、あぁそういうテイストかー、という感想だった。ある意味予想を裏切られる展開である。

 

裏テーマは「家族愛」

女の子特有のギスギス感がありながらも、ピンチの時には互いを守ろうとする絆で結ばれた鳴と響。そして、死後もなお娘たちを守ろうとする母の愛。

ホラーの中にもヒューマンドラマがあり、これらの自己犠牲的な愛に胸打たれた一部視聴者は「感動」「泣ける」と評しているようだ。ただしこれについては主題歌がHoneyWorksのため、エンドロールの間に不思議と謎の感動に包まれるせいでそう錯覚するだけかもしれない。

 

『犬鳴村』とリンクした演出

『犬鳴村』で臨床心理士の主人公が担当していた患者・遼太郎くんが、本作にもちらっと登場する。物語に直接関わるわけではないが、前作を視聴した人には分かるサプライズシーンだ。

他にも『恐怖の村シリーズ』のお約束展開として、「肝試し感覚で心霊スポットに行って死ぬ愚かな配信者」の概念的存在としてアッキーナと名乗る女の子が毎回登場し、冒頭で配信の様子が映る。キャストも同じというこだわりよう。

個人的には、そういうお楽しみ要素を入れるのは本編の完成度を高めた後でやるべきと思う。前作とリンクさせるのは良いがメリハリがなく、同じパターンじゃねーか!という突っ込み要素にしか感じなかった。

 

村シリーズを連続視聴するのは危険

じつは私が樹海村を観たのが、先に『犬鳴村』『牛首村』を観た後だった。設定的にも雰囲気的にも似たり寄ったりな内容が2時間近く続き、もはや集中力の限界だった。

休み休みでどうにか完走したが、感想らしい感想などすぐには思い浮かばず、同じ味を噛み続けたせいで最後には無味無臭に思えてくる感覚。合間に違うテイストの作品を挟めばまだマシだったかもしれない。シリーズ物なら一気に見るのが面白いだろう!と考えたのが間違いだった。

 

※以降激しいネタバレ注意※

 

 

映画を最後まで見終わっても、わからないところや納得できないところ……そんな点をQ&A方式で考察してみる。

 

自問自答Q&A

Q. 結局呪いの原因は樹海村なの?コトリバコなの?

A. 結論、どっちもである。コトリバコに近づいたことが原因で死んだ人もいれば、樹海に肝試しに行って死んだ人もいる。コトリバコの出どころは樹海村なので、広い意味では樹海村が呪いの原因と言える。

 

Q. 寺の住職が死んだのは、コトリバコの呪いじゃなくて響が放火したせいだよね?

A. そうです。(無慈悲)

響に言わせれば、恐ろしいコトリバコを手段選ばず排除しなくては、と思ったのかもしれないが、その行動の結果巻き添えを食らって死んだのが住職である。普通に犯罪。でも、住職は自分が死ぬことに関して「(コトリバコを)祓えなくてすまなかった」と発言しているため、今回の死の原因は響による犯罪というよりは、コトリバコが引き起こした呪いの弊害と考えているのかもしれない。

 

Q. 住職の奥さんが無傷なのは何故?

A. コトリバコのお祓いをしていた住職と違い、奥さんは箱と直接の関わりはなかった。そのため死を免れたと思われる。

 

Q. めちゃくちゃ樹海に関わってる樹海パトロールおじさんが無傷なのは何故?

A. おそらく樹海に行くだけでは死亡フラグは立たない。ある特定のルートを通ると樹海村への道が開き、樹海村入りすると死亡する。偶然にもそのルートを通ったアッキーナや視聴者軍団は村の一員となってしまったが、おじさんは何となくそのあたりのことも知っていて、回避していたのかもしれない。

 

Q. 病院の先生はコトリバコとも樹海とも直接関係なかったのに、どうして死んだの?

A. マジで分からない。指を切断された上で死亡したことから、コトリバコの呪いが理由ではある。響との関わりを通して、コトリバコにターゲットとしてロックオンされたのかもしれない。住職の奥さんは生存ルートなのに医者は死亡する理由、全然分からない。

 

Q. 主人公姉妹の母と祖母は登場したけど、父はいないの?

A. 祖母がいつも手を合わせている仏壇がちらっと映るシーンがあるが、それを見るに父親も亡くなっている。

ここからは考察になるが、父もコトリバコの呪いによって死亡したのではないかと私は考えている。

響と鳴が幼い頃、自宅倉庫でコトリバコを見つけた時、母は明らかにそれが何かを知っていた。コトリバコを過去に見たことがあり、それが引き起こす呪いも知っていたのだ。だからこそ姉妹を箱に触れさせず、二人を連れて箱を樹海に返しに行った。

もしかしたら、過去に同じことを父親も行ったのかもしれない。自宅でコトリバコを見つけ、樹海に戻しに行った帰りに命を落とし、母と娘たちだけが生き残った。時を経て、再び箱が出現。今度は母が樹海に行き、同じように帰り道で死亡。本編では姉妹が樹海に行き、妹の響が犠牲となった。

そしてエンドロール後、家庭を持った鳴のもとに、またも現れるコトリバコ。おそらく子孫が全滅するまでコトリバコに追いかけ回される無限ループが続くのだろう。

 

Q. 照と美優の引っ越し先にコトリバコが置いてあったのはなぜ?

A. ひとつ前のQ&Aで、鳴と響がコトリバコの呪いを親の代から受けていることを書いたが、そうなると分からない点がこれ。なぜ照と美優の新居の下からコトリバコが出てきたのか。

これはたぶん、「どこから出てきたか」よりも「誰の前に現れるのか」が鍵となっている。新居の下に箱が置いてあると最初に気づいたのは響。つまり箱は最初から響をターゲットにしていて、たまたまそれに響が気づいたのが引っ越し作業中だったと思われる。しかし、運悪く美優や照も箱に関わってしまったため、巻き込まれる形で呪いを受ける結果となった。

 

Q. どうしてコトリバコは姉妹たちを先代から呪い続けているの?

A. 洒落怖の知識が前提となるが、コトリバコは呪いたい相手の家にポンと置いておくだけで効果を発揮する特級呪物。つまり、コトリバコを作った樹海村の人々=迫害を受けて森に捨てられた人々が、呪いたい相手の家に箱を置いたことが始まりと考えられる。

ということは、姉妹の先祖は森に人々を捨てていた側なのではないか。迫害した者・迫害を受けた者の血族というのは『犬鳴村』でも扱われたテーマだが、樹海村も同じである可能性がある。

 

Q. 樹海村のバケモンたちは姉妹二人とも殺すことができそうだったのに、鳴だけ生き残らせたのは何故?

A. 何故だろうか。子孫を少しずつ生き残らせて、増えた分だけたくさん呪い殺すためかもしれない。数年後、鳴の娘の前に再度コトリバコが出現したことからまだ呪いは続いているようだし、樹海村の呪いというのは相当タチが悪いものと思われる。

 

おわりに

過去の忌まわしい風習から生まれた呪いの恐怖と描くと同時に、家族の絆を感じさせる映画『樹海村』。見どころもあるが突っ込みどころも多く、さらに『恐怖の村シリーズ』連続視聴によって精神が限界を迎えた。ド派手な海外ホラーを見て気分転換したい。

 

呪われた血筋を辿る和製ホラー『犬鳴村』(2020)

『犬鳴村』は、清水崇監督が手掛ける『恐怖の村シリーズ』の第一作目。2020年公開。

恐怖の村シリーズとは、『○○村』というタイトル縛りで同監督により制作された三つのホラー映画作品の総称。

この後、『樹海村(2021)』『牛首村(2022)』と続いていくシリーズである。

(※イメージ図)

 

ジャパニーズホラーといえば有名なのは『リング』、そして『呪怨』。

今回の村シリーズを手掛ける清水崇は『呪怨』の監督でもある。

それはさぞかし怖かろう。観るの勇気いるなぁ……と思いきや、意外にもクソレビューが多かったので、じゃあ大丈夫か。と思い、アマプラで視聴した。

 

 

映画『犬鳴村』とは

福岡県に実在する有名な心霊スポット『旧犬鳴トンネル』や、都市伝説としての『犬鳴村』の話を題材として作られたのが本作。

作中の犬鳴村は『地図から消された村』として、やはり有名な心霊スポットという設定。『コノ先 日本国憲法 通用セズ』という文言は、犬鳴村の都市伝説の中にもある印象的なフレーズだが、作中でも看板が再現されている。

 

あらすじ

臨床心理士の森田奏の周りで突如、奇妙な出来事が起こり始める。

「わんこがねぇやに ふたしちゃろ~♪」

奇妙なわらべ歌を口ずさみ、おかしくなった女性、行方不明になった兄弟、そして繰り返される不可解な変死…。それらの共通点は心霊スポット【犬鳴トンネル】だった。

「トンネルを抜けた先に村があって、そこで××を見た…」

突然死した女性が死の直前に残したこの言葉は、一体どんな意味なのか?

全ての謎を突き止めるため、奏は犬鳴トンネルに向かう。しかしその先には、決して踏み込んではいけない、驚愕の真相があった…!

(公式サイトから引用)

 

どうだろうか。上記の公式あらすじで、どんな内容を想像しただろうか。

鑑賞後にこのあらすじを読むと、決して間違っているわけではないのだが、要約が上手すぎて実際の物語よりもずいぶんすっきりした印象になっている。

ということで、もう少し事実に基づいたあらすじを自分なりに以下にまとめた。

 

もっと簡単なあらすじ

わたし、森田奏!ちょっぴり霊感の強い臨床心理士!私の担当の患者に遼太郎くんっていう男の子がいるんだけど、彼につきまとっている女の霊がいつも視界をちらつくの。遼太郎くんは霊のことを「あっちのママ」とか言ってるし普通に不気味。担当変えてもらいたいな~。

そんな時、お兄ちゃんから電話が。『犬鳴トンネル』で明菜ちゃんと一緒に心霊動画撮ってたら、彼女がおかしくなっちゃったんだって。それで彼女、飛び降り自〇しちゃった。

その後も周りの人が次々に失踪したり死んだりするの。お母さんもヘンになるしお父さんは明らかに何か隠してるし、うちの家系ってもしかして犬鳴村と関係あるのかな……?

 

***

わかりやすさ重視で、嚙み砕きまくってまとめてみた。文章の内容がとっ散らかっていてぜんぜんまとまっていない、と思うかもしれないが、本編もとっ散らかった状態で進行するので、わりと現実に即した内容である。

 

ちなみに公式サイトのイントロダクションには、

古より続く血の祝祭からあなたは逃げられない

……という文言がある。が、作中では何の祭りも開催されないし、祭りという言葉すら出てこない。もしかしたら犬鳴村の呪いのことを祝祭と比喩的に言っているのかもしれないが……。

あえてこだわって祝祭という単語を使ったのは、犬鳴村とほぼ同時期に日本公開された映画『ミッドサマー』の影響があったのかもしれない。

 

※以下ネタバレ注意※

 

 

相関図

この物語は相関図がないと分かりにくい。というわけで、極力ポップに楽しそうなかんじで描いてみた。

f:id:Amime-MK:20240310205048j:image

上記の登場人物以外にも出てくる人はまだいるが、主人公の家系図に関係ないところまで書いていくときりがないし、どうせみんな死ぬので割愛した。

 

感想

物語の全体像が分かりにくい

率直な感想として、意外と地味で分かりにくい内容だった。

「犬鳴村の呪いの話」「主人公のルーツの話」「遼太郎くんと『あっちのママ』に関する話」がすべて同時進行されるので、何がどこまで説明されているのかが分かりにくい。そして、主人公のルーツは最終的にひいおばあちゃんの代まで遡るので、頭の中で家系図を整理するのがけっこう大変。

目の覚めるホラーシーンや引き込まれる何かが定期的に供給されれば集中できたかもしれないが、シンプルにホラー映画として地味、というのが視聴1回目の印象。

 

そう。じつは1回観ただけでは話を理解できず、翌日に2回目の視聴をした。しかも今度はきっちりメモを取りながら。

2回観てやっと話の全体像が分かってきて、人物相関図が完成してみると設定が理解できて面白さが見えてきた。でも理解した頃にはすっかり怖くなくなっている。てか最初から怖くはない。何なら予告映像が一番怖い。

 

分かりにくさの理由はもうひとつある。

「犬鳴村の呪い」と「主人公のルーツ」は最終的にひとつの流れとしてまとまっていくが、遼太郎くんの話はまた別のエピソードだ。これらの独立した二つのエピソードが交互に切り替わるので、より難解になっている。

そもそもだけど遼太郎くんの話って必要だったのか?なくても普通に物語として成立するし、むしろ余分な話はカットして主人公の血筋にだけフォーカスを当てても良かったのではと思う。

 

出てくる霊が全然怖くない

作品全体に言えることだが(むしろホラー映画全般によくある傾向かもしれないが)、実際に霊がガッツリ出てきてしまうと怖くない。チラ見えしている時の霊が一番怖くて、その後のシーンで全然怖くない霊の全身がばっちり映るので怖さが相殺される。

病院で大量の霊に追いかけられる時とかちょっと面白くなっちゃってたもん。幽霊みんなで大合唱しながら、競歩くらいの絶妙なスピードでズサササ!!!って追いかけてくる。何だこのシーンは。

 

監督のこだわりを感じられたシーンも

大人しい雰囲気の作品ではあるものの、監督の熱量を感じたシーンもあった。それが、明菜がおしっこ漏らしながら裸足でぺたぺた歩くシーン。普通に監督の性癖。むしろこれを撮るために犬鳴村を制作したのかもしれない(個人の感想)。ちなみにめっちゃ冒頭の場面なので、以降これを超える性癖シーンは無い。

 

個人的に好きなポイント

怖いシーンで好きなのは、明菜の霊が投身を繰り返す場面。鉄塔から飛び降りて、地面にぶつかるところで消滅し、一定時間経過すると再度飛び降りる。死の間際の一番痛くてつらい部分を永遠にループする印象的なシーンだった。

あとは、主人公が過去にタイムスリップして守り抜いた赤子が、じつは自分の祖母だった……というループ展開も良かった。ホラーとループものは相性抜群だと思っているので、そう繋がるのかー!という面白さがあった。

 

総評:想像よりだいぶ大人しい作品だった

呪怨の監督が制作した、有名な心霊スポットを舞台とした村ホラー” という、いかにも怖そうなキャッチコピーにビビりすぎたのかもしれない。すごくマイルドな1時間48分だった。体感めちゃくちゃ長かった。

 

※以下激しいネタバレ注意※

 

 

映画を最後まで見終わっても、わからないところや納得できないところ……そんな点を以下でQ&A形式をとって考察してみる。

 

自問自答Q&A

Q. 奏や兄弟は犬鳴村の血だけでなく、筑紫電力関係者の血も混ざっているけど、村の呪いの対象にはならないの?

A. たとえ電力会社関係者の子孫であっても、犬鳴村の血族であればステータスは上書きされ、呪いの対象からは外れると思われる。

冒頭、悠真と明菜が犬鳴村を訪れた際、明菜だけが呪いを受けて悠真が無事であったのも、悠真が犬鳴村の血族であったがゆえに呪いを回避したのが理由と考えられる。

 

Q. 悠真や康太が今後犬化する可能性はあるの?

A. 奏や母が犬化したのを見るに、他の兄弟も犬化する可能性がないとは言い切れない。ただ、奏は兄弟の中でも特に霊感が強く、犬鳴村の血が濃く出ていた。悠真や康太には奏のような霊感はないため、犬化しないまま普通に過ごしていくのかもしれない。

 

Q. そもそも奏の父は、どうして『犬殺しの血』を引く母と結婚したの?

A. 結婚当初は、母が犬鳴村の血筋であることを知らなかった。そのことは、劇中の「俺だって、知ってたら一緒になんか」という台詞から明らかである。なぜ母と結婚したか、考えられる理由はふたつ。

①たまたま恋愛結婚した相手が、よりにもよって相性最悪の家系だった。

②森田家の血筋の者は代々不審死してしまうため、子孫の不審死を回避すべく「犬鳴村の血と混ぜてしまおう」と考えた先代森田家の人が、お見合い等の方法で結婚を仕組んだ。

どちらも可能性としてあり得るが、偶然で片づけるよりは何か理由があったと考察したい。もしくは「そういう運命だった」という考え方もあるが、どちらの血筋にとっても絶対交わりたくない因縁の相手だったのに、ひとつの家系に繋がってしまったというのは皮肉な話である。

 

Q. 森田家でもなく、犬鳴村の血筋でもなく、犬鳴村に行ったわけでもない山野辺医師が死んだのが納得できないんだけど?

A. マジでそれ。理由を考えるならば、山野辺は犬鳴村の呪いの経緯を知る数少ない者の一人だった。そして、森田家の先代たちを検死し、溺死であると実際に見てきているのも山野辺ただ一人。犬鳴村の呪いに長期間関わってきたことから、呪いに巻き込まれた可能性がある。

ちなみに当の山野辺は、自分が呪われることに対してそこまで意外性を感じていたわけではない。むしろ当然のように「次はそろそろ我々かもしれない」と奏の父に話していた。何でだよ。「そろそろキミの番かもね」なら分かるけど、どうして森田家でもなく犬鳴村に行ったわけでもない自分まで死ぬって考えるんだよ。呪いの発動条件って何だよ。わかんねーよ。

 

Q. 犬鳴村の女性たちは、本当に犬と交わっていたの?

A. それに関しては「事実無根の侮辱的な噂を流された」という被害エピソードのひとつであって、実際そんなことはなかった説を推す。奏が過去へのタイムスリップ時、ひとつ屋根の下にいた犬と人間の女性、そして足元の赤ちゃんを見て「まさか……」みたいな雰囲気になっていたが、たとえフィクションの世界であっても犬と人間のあいだに子どもなんて出来るわけない。どう考えても健司との子どもである。

 

Q. 犬鳴村の犬がシェパードって世界観どうなってるの?

A. 世界観はぶっ壊れたけどかわいいのでOKです。

 

Q. 霊体という設定の成宮健司、実在しすぎてない?

A. この霊、カメラにはっきり映りすぎてるし服装も小綺麗だし顔色良いし、奏が普通に腕を掴める存在だし、初見では霊なのか実在の人物なのか意味不明だった。遠くでぼんやり立ってる時のコイツの白シャツが、洗濯洗剤のCMくらい真っ白すぎる。もうちょっと暗く映れ。

 

 

おわりに

派手に驚かせることもなく、日本ホラー特有のじわじわ感も薄く、設定も分かりにくい映画『犬鳴村』。だが、その分かりにくさを乗り越えた先で面白さを感じられる。突っ込みどころはあれど、主人公のルーツを辿るというのも王道的展開。以降続く村シリーズが気になってくる作品であった。

 

(この時の私は、以降続く二作品が本作とほぼ同じパターンで進行するクソだるい内容になっていることをまだ知らない――)

 

ごあいさつ。

既にはてぶろを開設しているが、映画の話題は別でまとめたかったので、サブとして本ブログを立ち上げた。

映画は好きだが、感想や考察を考えているうちに頭の中が散らかりがちなので、頭の整理と備忘録を兼ねたノート的なかんじでブログ活用していこうと考えている。

良作からクソ作まで、いろいろな作品に触れたい。

 

ちなみに、メインブログは日常で撮った写真を載せながら、旅行記や日記として使っています。

あみめのぶろぐ

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